
森保ジャパンが見せてくれた姿を、特別なものにしてはいけない。
森保ジャパンが見せてくれた姿。
ハーフタイムのミーティングで、選手たちが互いに意見をぶつけ合い、試合をよりよくするために真剣に話し合う。
その姿を見て、「すごいな」「選手たちが主体的に話し合っているな」と感じた人も多いのではないでしょうか。
でも、私はあの姿を見て、もっと考えなければならないことがあると思うのです。
あの姿は、突然生まれたものではない。
あのように自分の考えをもち、仲間に伝え、異なる意見を受け止め、よりよい答えを探していく。
そんな姿に至るまでに、どのような経験を積んできたのでしょうか。
どんな指導を受け、どんな仲間と関わり、どんな環境の中で、自分で考え、対話する力を育んできたのでしょうか。
指導者が本当に考えなければならないのは、そこではないでしょうか。
あの姿から、育成を逆算して考える
大学年代、高校年代、中学年代、小学年代、そして幼稚園・保育園の年代へ。
森保ジャパンのようなミーティングができる選手を育てたいのなら、それぞれの年代で、どんな経験を積ませる必要があるのか。
今の育成環境は、本当にあの姿につながる道筋になっているのでしょうか。
もちろん、すべての選手が同じように話せる必要はありません。話し合いの方法も、年代や状況によって異なります。
しかし、ここで私が問い直したいのは、主体的に話し合う力を育てるための環境そのものです。
そして、この問いは、サッカーの世界だけに向けられるものではありません。
私は、学校教育に目を向ける必要があると思うのです。
JFAの皆さん、学校の教室を見てください
JFAの皆さんに、ぜひお願いしたいことがあります。
学校の教室を見ていただきたいのです。
できれば、教室の一番後ろの席に座ってみてください。
先生が黒板の前に立ち、子どもたち全員が前を向いて座り、先生の話を聞いている。
後ろから見えるのは、子どもたちの頭ばかりです。
もちろん、一斉に話を聞く授業が必要な場面もあります。前を向いて学ぶこと自体が悪いわけではありません。
問題は、それが学びの当たり前の姿になっていないかということです。
森保ジャパンのミーティングと、学校の教室を比べてみてください。
選手たちは、仲間の顔を見ながら話しています。
自分の考えを伝え、仲間の考えを聞き、異なる意見と向き合いながら、チームとしてよりよい答えを探しています。
では、学校の教室ではどうでしょうか。
子どもたちが互いの顔を見て語り合い、考えを深め合うことは、日常の姿になっているでしょうか。
森保ジャパンのミーティングで見られるような姿が、特別な場面ではなく、日常の学びの中にある。
私は、そんな教室を当たり前にしていく必要があると考えています。
コの字型、グループ型。目を見て語り合う教室へ
教室をコの字型にする。
グループ型にする。
もちろん、机の配置を変えれば、それだけで主体性が育つわけではありません。
大切なのは、子どもたちが互いの顔を見て、自分の考えを伝え、仲間の考えを受け止めながら学ぶことができる環境をつくることです。
そして、話し合いが得意な一部の子どもだけが活躍するのではなく、誰もが自分なりの考えをもち、誰もが仲間の考えに触れ、誰もが学びに参加できることです。
森保ジャパンのミーティングを見て、「主体的に話し合える選手はすごい」と感心するだけで終わってはいけないと思うのです。
私たちが本当に考えなければならないのは、どうすれば、こうした力を一部のエリートだけでなく、すべての子どもたちが育めるのかということではないでしょうか。
その出発点の一つが、学校の教室にあると私は考えています。
保護者の皆さんにも、ぜひ学校に声を届けてほしい
そして、この話はJFAやサッカー指導者だけに向けたものではありません。
保護者の皆さんにも、ぜひ考えていただきたいのです。
わが子に、どんな力を身につけてほしいでしょうか。
言われたことを正確にこなす力だけでしょうか。
それとも、自分で考え、自分の意見をもち、仲間と対話し、異なる意見を受け止めながら、よりよいものをつくり上げていく力でしょうか。
もし、後者のような力を身につけてほしいと願うのなら、ぜひ学校にも目を向けてみてください。
「うちの子が通う学校では、子どもたち同士が考えを伝え合う授業は、どれくらい行われていますか?」
「先生の話を聞くだけでなく、子どもたち同士が学び合う時間はありますか?」
「子どもたちが自分の考えをもち、安心して意見を伝えられる環境になっていますか?」
そんな問いを、学校に届けてほしいのです。
これは、学校や先生を批判するためではありません。
先生方も、限られた時間の中で、さまざまな課題に向き合っています。
だからこそ、保護者も学校に任せきりにするのではなく、子どもたちにどんな力を育てたいのかを共有し、一緒に学ぶ環境を考えていくことが大切だと思うのです。
そして、学校だけでなく、教育委員会や文部科学省にも、こうした学びを広げてほしいと声を届けていく。
子どもたちの未来をつくるのは、学校の先生だけではありません。
家庭も、学校も、地域も、スポーツの指導者も、みんなが当事者なのです。
サッカーのときだけ「考えろ」と言っても、変わらない
サッカーの指導者が、グラウンドの上だけで「自分で考えろ」「主体的に話し合え」と求めても、それまでの生活や学習の中に、自分で考え、対話し、協働する経験が乏しければ、簡単には身につきません。
もちろん、サッカーの現場だからこそ学べることもあります。
だからこそ、サッカーと学校教育を切り離して考えるのではなく、互いにつなげて考える必要があるのではないでしょうか。
JFAの皆さんには、サッカーの指導現場だけでなく、学校教育にも目を向けていただきたい。
そして、指導者の皆さんには、子どもたちに主体性を求めるだけでなく、その主体性が育つ環境を自分たちがつくれているかを問い直していただきたい。
保護者の皆さんには、わが子が通う学校で、どんな学びが行われているのかに関心をもち、必要だと思うことを学校に伝えていただきたい。
さらに、こうした声が学校や教育委員会、文部科学省にも届き、教育環境を考えるきっかけになってほしいと思います。
子どもたちに主体性を求めるのなら、まず、主体性が育つ環境を大人がつくらなければなりません。
森保ジャパンの姿を、子どもたちの日常に
森保ジャパンが見せてくれた姿は、氷山の一角にすぎないのかもしれません。
私たちが目にしたのは、選手たちが真剣に話し合う姿です。
しかし、その姿の背景には、それぞれが積み重ねてきた経験や、仲間と関わりながら学んできた時間があるはずです。
だからこそ、目の前に見える姿だけを称賛するのではなく、その姿を生み出す環境について考えたいのです。
一部の優れた選手だけができることにしない。
特別なチームだけの文化にしない。
サッカーの試合中だけに見られる姿にしない。
幼稚園・保育園から小学校、中学校、高校、大学へと、子どもたちが成長していく中で、考え、語り合い、仲間と学び合うことが当たり前になっている。
そんな社会をつくっていきたい。
そのためには、サッカーの指導者だけでも、学校の先生だけでも、保護者だけでも足りません。
JFAの皆さんも、指導者の皆さんも、保護者の皆さんも、そして学校や教育行政に関わる皆さんも、一緒に考え、行動していく必要があると思います。
森保ジャパンのミーティングを称賛して終わるのか。
それとも、あのように対話できる子どもたちを育てるために、私たち大人が環境を変えていくのか。
私は、後者を選びたい。
森保ジャパンが見せてくれた姿を、特別なものにしてはいけない。
あの姿が、子どもたちの日常になる社会へ。
その一歩を、まずは私たちの身近な教室から始めていきませんか。

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