第5回 「誰一人取り残さない」の本当の意味とは何か

最近、教育でもスポーツでも、

「誰一人取り残さない」

という言葉をよく耳にする。

もちろん、その理念自体は素晴らしい。

しかし現場を見ていると、時々思うことがある。

本当にそれは、

“取り残さない構造”

になっているのだろうか。

「できる子が残る」構造になっていないか

現実には、多くの組織でこういうことが起きている。

全員に同じ指導をする。

その中で、

適応できた子が上へ行く。

理解できた子が残る。

メンタルが強い子が耐え抜く。

そして、そこから外れてしまった子に対して、

「もっと頑張れ」

「自分から来い」

「這い上がってこい」

という空気になる。

しかし、それは本当に、

「誰一人取り残さない」

なのだろうか。

むしろ、

“這い上がれる子だけが残る構造”

になってはいないだろうか。

習熟度別が生む現実

昔から言われてきたことだが、

習熟度別には大きな課題がある。

上位層はさらに伸びる。

しかし、

下位層は上がってこない。

なぜなら、

上の基準で回る集団の中では、

苦しんでいる子が、

「助けを求める側」

になってしまうからだ。

上位層の選手には、
上位層の基準の指導が入る。

できる前提で話が進む。

すると、

まだそこに到達していない子は、

少しずつ置いていかれる。

しかも真面目な子ほど、

「迷惑をかけたくない」

「自分が悪い」

「ついていけない自分が弱い」

と抱え込み、

静かに沈んでいく。

本当に必要なのは「安心して沈める」環境

ここを勘違いしてはいけない。

本当に必要なのは、

“落ちない環境”

ではない。

人は誰でも落ちる。

怪我もする。

自信もなくす。

心が沈む時もある。

大事なのは、

「落ちた時、浮かび上がれる構造になっているか」

である。

つまり、

「混ざっていい」

「聞いていい」

「助けてと言っていい」

という空気があるか。

ここが極めて重要なのだと思う。

「どうした?」と言える環境があるか

そしてもう一つ。

指導者側の在り方である。

苦しんでいる子に対して、

「努力が足りない」

「もっとやれ」

だけになっていないだろうか。

本当に必要なのは、

「どうした?」

「君はどうしたい?」

「何か手伝えることある?」

と問いかけられる環境ではないか。

つまり、

助けられる側と、

助ける側が固定されていない空気。

それが、

本当の意味での育成につながるのだと思う。

強い組織とは、落ちた人を見捨てない組織

もちろん、

厳しい環境が悪いわけではない。

高い基準を持つことも大切だ。

競争が人を成長させることもある。

しかし、

本当に強い組織とは、

“上がった者だけを評価する組織”

ではない。

落ちた人を、

もう一度浮かび上がらせる力を持っている組織である。

「這い上がってこい」

だけではなく、

「今どこで苦しい?」

「一緒に整理しようか」

と言える。

そこまで含めて、

育成なのだと思う。

問題は“個人”ではなく、“構造”

多くの場合、

取り残される子を見ていると、

本人だけの問題ではない。

その子が上がってこられるように、

設計されていない。

つまり、

問題は個人ではなく、

“構造”

にある。

だから、

構造を変えない限り、

同じことは起き続ける。

魚を与えるな

このシリーズで言いたいことは、

「甘やかせ」

ではない。

本当に大事なのは、

魚を取れない人間を切り捨てることではなく、

“もう一度、魚を取りに行ける環境”

を作ることなのではないか。

人は誰でも沈む。

だからこそ、

沈んでも戻ってこられる空気を作る。

助けを求めてもいい文化を作る。

そして、

「誰一人取り残さない」

を、

言葉ではなく、

構造で実現する。

そこに、

これからの教育や育成の本質があるような気がしている。

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