発言が増えない。
対話が続かない。
学びが深まらない。
こうした課題に対して、これまで様々な手立てが語られてきた。
しかし、もっと単純な問いを立ててみたい。
この45分間で、子どもたちは何回、誰かと目が合っているのだろうか。
ここで一つ、「1アイ」という考え方を置いてみる。
一人と一人の視線が交わり、関係が生まれる瞬間。
それを1回と数える。
学びは、この小さな関係の積み重ねの中で進んでいくと考える。
では、前向き一斉配置ではどうなるか。
教室の視線は基本的に前に集まる。
子どもは教師を見る。教師が子どもを見る。
この構造の中で起きる1アイは、ほとんどが「教師と子ども」の間である。
45分の授業の中で、教師が一人一人と関わる回数を仮に2〜3回とすると、30人学級でおよそ60〜90回程度になる。
一方で、子ども同士の1アイはどうか。
振り返ってみると、ほとんど起きていないか、あっても限定的である。多く見積もっても20〜30回程度だろう。
つまり、教室全体で起きている1アイは、およそ100回前後に収まる。
では、コの字型やグループ型ではどうなるか。
まず前提として、視線が横に広がる。
子ども同士が顔を合わせているため、目が合うこと自体が自然に起きる。
例えば4人グループで考えてみる。
ちょっとした確認、つぶやき、うなずき。
1分間に1〜2回、視線が交わるとすると、45分でおよそ50回。
これが7グループあれば、それだけで350回に達する。
さらに、グループ間の発言や全体への広がりを含めると、100〜200回程度は追加される。
教師との1アイも含めれば、全体で500回を超えることは十分に考えられる。
ここで見えてくるのは、単なる数の違いではない。
関係の密度の違いである。
前向き一斉配置では、関係の多くが教師に集中する。
つまり、学びをつなぐ役割の多くを教師が担うことになる。
一方、コの字型やグループ型では、関係が分散する。
子ども同士の間で、無数の小さなつながりが生まれる。
この差は、そのまま働き方に直結する。
前向き配置では、教師が100回つなぐ。
コの字型では、子ども同士で400回以上つながる。
教師がやらなければならない仕事の量が変わるのではなく、構造そのものが仕事を分散させる。
もちろん、この数字はあくまで一つの仮定である。
しかし重要なのは、正確な回数ではない。
どれだけ視線が行き交っているか。
どれだけ関係が生まれているか。
そこに目を向けることで、これまで見えていなかったものが見えてくる。
歌人の俵万智さんは、日本国憲法について、当たり前に存在しているものほど、その意味を問い直すことの大切さを語っている。
教室の風景も同じではないだろうか。
前を向いて静かに座っていることが良いとされてきたその形が、どれだけ関係を生み、どれだけ関係を止めているのか。
もし学びが関係の中で生まれるのだとしたら。
その関係の量を決めているのが、教室の形だとしたら。
「どれだけ目が合っているか」という問いは、学びと働き方の両方を見直す入口になる。
一つのまなざしから始まる学びが、どれだけ教室の中に存在しているのか。
一度、数えてみてもよいのかもしれない。

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