学校が部活動を完全に手放してよかったのか

結論から言えば、
「手放したこと自体」は妥当だったが、「完全に切り離してよかったか」と問われれば、答えは簡単ではない。

この二つは、分けて考える必要がある。

手放した判断は、現実的に正しかった

部活動を学校が担い続けることは、もはや限界だった。
教員の長時間労働、専門性への過度な依存、事故や不祥事の責任の重さ。
これらを「教育だから」「伝統だから」で支え続けることはできない。

学校が部活動を“手放した”というより、
これ以上、抱えきれなくなったというのが実情だろう。

その意味で、学校から切り離すという判断自体は、現実的であり、避けられない選択だった。

しかし、「完全に切り離す」ことには危うさがある

一方で、完全に学校の外に出してしまってよかったのかと問われれば、
そこには大きな留保がつく。

学校は、単に活動の場を提供していただけではない。
子ども同士の関係性、発達段階への配慮、教育的な価値判断。
それらを日常的に見てきた場所でもあった。

地域に展開された活動が、
勝利や成果、効率、人気だけを軸に動き始めたとき、
子どもを守る最後のブレーキはどこにあるのか。

その問いは、まだ十分に整理されていない。

「学校が関わらない」ことと「学校が無関係」になることは違う

ここで大事なのは、
学校が運営しないことと、
学校が無関係になることは、決して同じではないという点だ。

指導や運営の責任を地域が担うことはあっても、
子どもの育ちや生活と切り離してしまってよいわけではない。

むしろ、
• 子どもの様子を日常的に把握している学校
• 専門的に活動を支える地域
この二つが、どう役割分担をするのかが問われている。

「完全に手放す」のではなく、
「主導権は渡すが、視点は手放さない」
そのくらいの距離感が、現実的なのではないか。

問われているのは、責任の放棄ではなく再配置

部活動の地域展開は、
学校が責任から逃げることでも、
地域に丸投げすることでもない。

本来問われているのは、
誰が、何に、どこまで責任を持つのかを、社会として引き受け直すことだ。

学校が完全に手放してよかったのか。
その答えは、
「手放した」ことで終わるのではなく、
その後、どんな関係を再構築できるかにかかっている。

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