現在、文科省主導?で進められている「個別最適な学び」は、子どもたち一人ひとりの可能性を最大限に引き出すという点で、教育の理想像の一つです。しかし、現場の教師として、この「個別最適化」というキーワードが先行することに対し、私たちは立ち止まって、その構造的なリスクを冷静に見極める必要があるのではないでしょうか。
1. 「個別最適化」が内包する差別化加速の懸念
「単元内自由進度学習」などに代表される個別化の手法は、過去のマスタリー・ラーニングや習熟度別学習と本質的に変わらない側面を持ちます。デジタルツールという新しい仮面をかぶったとしても、その実態は、子どもたちの「差」を可視化し、加速させる仕組みであることに変わりはありません。
理想は、遅れがちな子への手厚いサポートと、進度の早い子の能力伸長の両立です。しかし、現実に起こりうるのは、「エリート層の超加速」と、それに追いつこうとする保護者たちの「教育競争への再参戦」です。
公教育がこの流れを推進すればするほど、保護者は「わが子を遅れさせてはならない」という焦燥感から、塾や習い事といった私的な教育市場への投資を増やさざるを得なくなります。結果、子ども一人にかかる教育コストが青天井に高騰し、これが「子ども一人をエリートに育てるために手一杯」という構造を生み出し、二人目以降の出産を躊躇させるという少子化の直接的な背景となってしまうのです。
中央の政策には、国の方向性を決める意図がある一方で、現場の教師は、その政策を「鵜呑み」にするのではなく、教育の本質と社会構造への影響という二つの視点から、批判的に検討し、実践を再構築する知性が求められています。
2. 教室は「未来を育む」最前線:オキシトシンの経済学
しかし、私たちはただ政策を批判するだけに留まる必要はありません。なぜなら、少子高齢化対策は、実は日々の私たちの授業にあるからです。
個別最適化が内包する「分断」や「競争」の構造に対抗し、この国の未来を繋ぐ鍵こそ、まさに「協働的な学び」と「深いふれあい」です。
人間は、集団の中で他者と協調し、信頼関係を築くことで、「オキシトシン」というホルモンを多く分泌します。このオキシトシンは、愛情や信頼、幸福感、共感性を高める作用があり、「絆ホルモン」とも呼ばれます。
日々の授業の中で、単なる表面的なグループワークではなく、誰も排除されない、相互に助け合う「協働的な成功体験」を積み重ねることは、子どもたちの間に強い「絆」を育みます。この経験を通じて育まれた共感力とポジティブな人間関係の形成能力は、将来、異性との健全な関係(男女の仲)を築く土台となり、結婚や家族形成への繋がりを潜在的に増やしていくことになります。
さらに、「仲間が多いと素敵な空間になる」という実感を学校生活で深く経験すること。これは、やがて彼らが家庭を持ったときに、「兄弟姉妹は多い方が豊かで楽しい」という価値観を、理屈ではなく感情と記憶として潜在的に抱かせることに繋がるのです。
3. 教師の専門性と倫理が国を救う
私たちの仕事は、単に知識や技能を教え、入試を突破させることだけではありません。それは、「人間として共に生きる喜び」と「未来を築く希望」を子どもたちの中に灯すことです。
個別最適化の波に乗る際も、その推進力が子どもたちを孤独な競争へと追い込み、教育費の高騰を通じて少子化を加速させる「負の側面」を常に意識しなければなりません。
教師の専門性とは、中央の政策を盲目的に受け入れることではなく、子どもたちの「幸福な社会性」と「未来への希望」を最優先するために、「個別最適化」を「協働とふれあい」という絆の基盤の上に位置づける実践を創造することです。
日々の教室で、オキシトシンがあふれるような豊かなふれあいを創造することこそ、私たち教師が未来の世代に贈る、最も確かな「少子高齢化対策」なのです。
「個別最適化」は希望か、階層固定の序曲か?〜教師の授業こそが少子化対策である〜
Uncategorized
コメント