学校は、成果や効率だけを求める場所ではなく、人が育つ場所だと私は考えています。子どもはもちろん、そこで働く大人も含めてです。人が人と関わる以上、言葉や態度が相手に影響を与えるのは避けられません。それを弱さと切り捨てるのではなく、どう受け止め、どう立ち続けるかを学ぶ場が学校なのだと思います。
厳しさは必要です。しかし、厳しさと威圧は同じではありません。声の大きさや恐れさせる力によって成り立つ秩序は、静かに見えても、安心とは別のものです。信頼のないところで育った力は、いずれ別の形で歪みを生みます。教育が目指すべきなのは、恐怖で従わせることではなく、納得の上で前に進める力を育てることです。
教師は万能な存在ではありません。迷い、悩み、学び続ける存在です。それでも子どもの前に立ち、向き合い続けることを選ぶ。その姿勢そのものに価値があると私は思っています。完璧さよりも、逃げずに関わり続けることが、この仕事の専門性です。
学校は、人をふるい落とすための場所ではありません。つまずいた人がやり直してもいい、うまくいかない日があっても居場所がある。そうした余白があるからこそ、人は挑戦し、成長できます。強さだけを基準にした場は、短期的には整って見えても、長くは続きません。
大人が互いをどう扱うかは、子どもが将来、社会で人をどう扱うかにそのまま表れます。だからこそ私は、学校を「幸せになっていい場所」であり続けさせたい。恐れによる静けさではなく、安心の中で育つ力を信じて、今日も教育に関わっています。

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