命②

昨日、友人の通夜に参列した。
小学校、中学校を共に過ごした同級生だった。
人懐っこくて、誰とでも笑って話せる、本当にいいやつだった。

会場には、彼の三人の子どもたち――男の子、男の子、女の子がいた。
多くの人が集まり、彼がどれだけ人に囲まれて生きてきたのかが、言葉にしなくても伝わってきた。

病気で亡くなった彼の顔は、驚くほど細くなっていた。
お父さんが「顔が三分の一くらいになっちゃったな」と、かすかに笑いながら話す姿を見て、胸が詰まり、涙が止まらなかった。
あまりにも早すぎる別れだった。

その場に立ちながら、思った。
もし自分が、突然この世からいなくなったら、誰が悲しんでくれるのだろう。
自分の残りの人生は、あとどれくらいあるのだろう。
そして、両親の命もまた、永遠ではないのだということ。

命は、いつか必ず終わる。
途切れるもの、消えてしまうものだ。
分かっていたはずのその事実が、友人の死によって、現実の重みとして胸に迫ってきた。

そんな一日を経て、自然と考えが向かったのは、子どもたちのことだった。

学校にいると、私たちはつい「先」を見てしまう。
成績、進路、評価、効率。
でも、目の前にいる子どもたち一人ひとりも、間違いなく「今を生きている命」なのだ。

今日、教室にいるこの子が、明日も同じようにそこにいる保証はない。
だからこそ、
今日の一時間、今日の一言、今日のまなざしが、どれだけ大切かを思う。

教育は、未来のためだけにあるのではない。
「今、この瞬間を大切にされている」と、子どもが感じられる場であるべきだ。
学校は、知識を詰め込む場所である前に、生きていていいと思える場所であってほしい。

そしてそれは、仕事としての教育観にもつながってくる。
教師という仕事は、目に見える成果がすぐに出る仕事ではない。
でも、何気ない一言、何気ない関わりが、誰かの人生のどこかで支えになることがある。
そう信じて、今日も教室に立っている。

友人の死は悲しかった。
けれど同時に、「どう生きるか」「どう関わるか」を静かに問い直してくれた。

一日一日を大切に。
目の前の命を大切に。
その積み重ねの中に、教育の本質も、仕事としての誇りもあるのだと思う。

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