私立高校の授業料無償化が進む中で、ある種の「既視感」を覚えている。
それは感情論ではなく、構造として「そうなるだろう」と予測できてしまう未来が、あまりにもはっきり見えているからだ。
同じ「無償」であるなら、施設が整い、広報力があり、特色を前面に打ち出せる私立高校が選ばれる。
一方で、公立高校は制度上の制約が多く、柔軟なカリキュラム編成や迅速な改革が難しい。
少子化が進む中、この条件で競争をさせれば、どこが厳しくなるかは火を見るより明らかだったはずだ。
それだけに、私立無償化が本格化する直前になって
「公立高校を中心に官民を挙げて高校教育改革を進める」
「小規模校の教育条件を改善する」
といった提言が前面に出てくることに、正直なところ強い違和感を覚える。
もちろん、提言の中身そのものを否定したいわけではない。
小規模校が大規模校に劣るわけではないこと。
地域の資源を生かした学びや、高校間連携、オンラインを活用した多様な学習機会の確保。
これらは、むしろもっと早く、もっと本気で進めるべきだったことだ。
しかし、問いは残る。
なぜそれらは「無償化の前」に本格的に進められなかったのか。
なぜ公立高校が選ばれにくくなる構造を先につくり、その後に「改革」という名の対処が語られるのか。
公立高校は、単なる「選択肢の一つ」ではない。
地域にとっては、最後の教育インフラであり、
学力や家庭環境、将来像が多様な子どもたちを受け止めてきたセーフティネットでもある。
その役割は、偏差値や人気、学校規模だけでは測れない。
「多様で質の高い教育」という言葉は美しい。
だが、それを実現するために
・教員配置はどうなるのか
・現場の負担は減るのか
・公立高校の裁量は本当に広がるのか
といった核心部分が見えないままでは、「改革」は理念倒れになってしまう。
私立無償化そのものが悪だと言いたいのではない。
ただ、その政策がもたらす影響を十分に見通した上で、公立高校の価値と役割をどう守り、どう再構築するのか。
そこに対する本気度が、今、問われているのだと思う。
「公立が厳しくなってから考える」のでは遅い。
公立高校が担ってきたものを、失ってからでは取り戻せないからだ。

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