消えた記録
男は、少しだけ不便を感じていた。
予約したはずの店に名前がない。
申し込んだはずの手続きが見当たらない。
「最近ミスが多いな」
そう思っていた。
便利な社会でも不具合くらいある。
気にするほどではない。
だが、その数日後。
宅配便が届かなかった。
「不在票もない?」
問い合わせる。
《該当の配送記録はありません》
「いや、確かに注文した」
《注文履歴が確認できません》
端末を確認する。
確かに履歴がない。
「……削除?」
次の日。
会社の勤怠システム。
《出勤記録なし》
「は?」
「毎日来てるだろ」
《記録が存在しません》
笑えなくなってきた。
さらに翌日。
銀行アプリ。
《取引履歴なし》
「そんなはずが……」
通帳を開く。
空白。
男の背中に冷たい汗が流れた。
役所へ向かう。
必死で説明する。
職員は落ち着いていた。
「記録が確認できません」
「だから俺はここに――」
「申し訳ありません」
「存在の証明ができません」
男は言葉を失った。
世界は変わっていない。
街も、会社も、昨日と同じ。
ただ、
自分に関する記録だけが、ない。
帰り道、大型ビジョンが光っていた。
《すべては正確な記録のもとに》
男は立ち止まった。
「俺は……」
「記録があるから存在していたのか?」
それとも、
「記録が消えたから、存在しなくなったのか?」
端末は何も答えない。
《該当データなし》
――もちろん、これも作り話。
ただ、消えるのは人ではなく
記録の方なのかもしれない。

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