昨日、友人から一本の連絡をもらった。
小学校、中学校を一緒に過ごした同級生が亡くなったという知らせだった。
今日、そのお通夜に参列してきた。
人懐っこくて、誰とでも自然に笑って話せる、本当にいいやつだった。
会場には、彼の子どもたち――男の子、男の子、女の子の三人がいて、親族や友人、たくさんの人が集まっていた。
それだけで、彼がどんな人生を生きてきたのかが伝わってくる気がした。
棺の中の彼は、病気の影響で顔が驚くほど細くなっていた。
お父さんが「顔が三分の一くらいになっちゃったな」と、かすかに笑いながら話しているのを見て、胸が締めつけられた。
その言葉の奥にある痛みを思うと、もう涙が止まらなかった。
あまりにも早すぎる。
そう思わずにはいられなかった。
その場に立ちながら、ふと考えてしまった。
もし自分が、ある日突然この世からいなくなったら、一体誰が悲しんでくれるのだろうか。
自分の残りの人生は、あとどれくらいあるのだろうか。
そして、両親の命も、決して当たり前に続くものではないのだということ。
命は、いつか必ず終わる。
途切れるもの、消えてしまうものだ。
頭では分かっていたはずなのに、友人の死を前にして、その事実が現実として突きつけられた一日だった。
だからこそ、思う。
一日一日を大切に生きたい。
今日、話せる人に話す。
今日、伝えられる思いは、今日伝える。
「また今度」は、約束されたものじゃない。
彼が残してくれたものは、悲しみだけじゃない。
生きている今を、どう生きるかを考えさせてくれたこと。
それ自体が、彼がこの世界にいた証なのだと思う。
静かに、でも確かに、心に残る一日だった。

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