自分から動ける子を見ると、
つい「主体的だな」と言いたくなる。
でも、本当にそうなのだろうか。
言われる前に始める。
進んで発言する。
手を挙げる。
先に動く。
それは確かに立派な姿である。
けれど、もしその行動が「なぜそれをするのか」を考えないままのものであるなら、それは“主体的”というより、“よく動ける子”で止まっている可能性もある。
主体的という言葉は、行動の速さや目立ちやすさだけでは語れない。
むしろ、その子が自分で考えながら学びを進めているかどうか
の方に目を向けなければならないのだと思う。

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