ナイト症候群

ナイト症候群からの脱却──授けない勇気が、子どもを育てる

カテゴリ:教育コラム|指導観|非認知能力

タグ:主体的な学び 非認知能力 トレセン 教えない勇気

「何かを授けなければ」「教えないと育たない」──そんな思い込みが、知らず知らずのうちに私たち教師や指導者を縛ってはいないでしょうか。
今回は、子どもたちを「救うべき存在」と見てしまう“大人の使命感”にメスを入れます。その名も、「ナイト症候群」。
子どもが自ら剣を抜く瞬間を信じて待つ。その視点が、教室やグラウンドの風景を大きく変えるかもしれません。

目次

  • 1. 「ナイト症候群」とは何か?
  • 2. 教えすぎることの落とし穴
  • 3. トレセンは「授ける場」ではない
  • 4. 非認知能力を育む“化学反応の場”へ
  • 5. 子どもに剣を渡すのではなく、自ら抜かせる

1. 「ナイト症候群」とは何か?

子どもが困っていたら助けたい。
分からなければ教えたい。
うまくできなければ正解を示したい。
――これらは、教育や指導の現場で「善意」として当然のように受け止められています。

しかし、その善意が“過剰”になったとき、大人は「ナイト(騎士)」になってしまいます。
つまり、子どもをドラゴンから救うべき「弱き存在」と見なしてしまい、「教えること」によって自分の価値を証明しようとしてしまうのです。
これが、私の言う「ナイト症候群」です。

2. 教えすぎることの落とし穴

「指導」とは、「教えること」ではなく「導くこと」。
それにもかかわらず、現場ではいまだに「教えて育てる」が主流です。

特にサッカーなどのスポーツ現場では、練習前に選手たちがコーチのもとに集まり、話を聞いてから始まるのが当たり前になっています。
でも、これって本当に“主体的”な学びを促すスタートでしょうか?
授業も同じです。教師の話から始まることに、いつしか何の違和感もなくなっていませんか?

3. トレセンは「授ける場」ではない

トレセン(トレーニングセンター)は、地域のトップ選手が集まる場です。
ここで求められるのは、「技術を授けること」ではなく、「その選手たちが、互いの関わりの中で刺激を受け、自らの学びを深めること」ではないでしょうか。

だからこそ、コーチの役割は“何かを与えること”ではなく、“化学反応の起きる環境”を整えること。
這い回りながら課題を見つけ、解決しようとする。そのプロセスこそが「個の力」であり、非認知能力の育成です。

4. 非認知能力を育む“化学反応の場”へ

非認知能力――自分で考え、関わり、行動する力。
これは、「教わる」ことで育つものではありません。

必要なのは、「この場で何かが起こるかもしれない」と選手たち自身が感じるような雰囲気づくり。
正解を示さずとも、気づきが生まれる。
指示を出さずとも、声を掛け合う。
そうした“高性能な化学反応の場”が、トレセンや教室には必要です。

5. 子どもに剣を渡すのではなく、自ら抜かせる

子どもは、救われる存在ではありません。
自分で気づき、自分で行動し、自分で立ち上がる存在です。

教師やコーチが“剣を渡すナイト”になるのではなく、「自分の剣を抜く瞬間」を待つ演出家になる。
それが、「育てる」ことの本質ではないでしょうか。

ナイト症候群から抜け出すためには、
教えない勇気、見守る覚悟、信じる姿勢が必要です。

おわりに

「教えること」が仕事だと思い込んでいた自分に、問い直しをかける。
これは教師にとっても、コーチにとっても、ある種の“リセット”なのかもしれません。

授ける指導から、育ち合う場づくりへ。
今こそ、ナイト症候群から卒業しませんか?


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