なぜ日本の教師は変わらないのか、という問いのズレ

「なぜ日本の教師は変わろうとしないのか」

権威ある?権威のあった?おじいちゃんが声高々にSNSに発信している。そう、過去の人が。
不登校は増え、自殺者数も過去最多。学習不振が一因だと言われているのに、学校は学力向上に本気にならず、家庭や塾に委ねている――そんな論調だ。

だが、私はこの問い自体に、強い違和感を覚える。

本当に問うべきは
「なぜ教師は変われない状態に置かれ続けているのか」
ではないのか。

教師は「育てられた通り」にしか動けない

教師は、突然空から降ってくる存在ではない。
採用され、育てられ、評価され、管理されてきた結果として、今、現場に立っている。

にもかかわらず、
• 教師は努力が足りない
• 教師は意識が低い
• 教師が変わらないから学校はダメだ

と切り捨てるのは、あまりに無責任だ。

そもそも、その教師たちを育ててきたのは誰なのか。
教師が勝手に育つと、本気で思っているのだろうか。

「学力を伸ばせばいい」という単純化の危うさ

「塾は週2回で学力を伸ばしている。学校もやればいい。簡単だ」

こうした言葉もよく聞く。
だが、塾と学校は、前提条件がまったく違う。
• 塾は選べる
• 学校は選べない
• 塾は成果が出なければ切れる
• 学校は全員を抱え続ける

この違いを無視して「学力さえ伸ばせばいい」と語るのは、
教育を一次元に縮める思考停止だ。

しかも、その「学力」は、たいてい
前向き一斉座席配置、反復練習、見える点数
といった、過去の成功体験に支えられている。

問題は「授業方法」ではなく「デフォルト」

授業を変えろ。指導法を工夫しろ。
それも大切だが、本質ではない。

問題は、もっと深いところにある。
• 前向き一斉が当たり前
• 教師が説明するのが普通
• できないのは努力不足
• 静かに聞く子が良い子

こうした無意識のデフォルトが変わらない限り、
• 自由進度
• 個別最適
• 探究的な学び

どんな言葉を掲げても、形だけで終わる。

だからこそ必要なのは、
「方法論の改革」ではなく
「学習環境の前提そのものの更新」だ。

現場を一番苦しめているのは、正論を上から投げる人

本気で改革を語るなら、
「なぜ教師は変わらないのか」と嘆く前に、
• 自分たちは、どんな教師像を正解にしてきたのか
• どんな実践を評価し、どんな挑戦を潰してきたのか

そこを問い直す必要がある。

学力を伸ばせばいい、と言い切れる人ほど、
伸びなかった子、壊れた子、疲弊した教師を
見なくて済んできた立場なのかもしれない。

教師を変えたいなら、教師を責めるな

教師不足が進む理由も、ここにある。
• 仕事をしづらくする構造を放置し
• 現場に責任を押し付け
• うまくいかなければ「教師が悪い」と言う

この循環の中で、誰が希望を持てるだろうか。

教師を変えたいなら、
まず教師が育つ環境を変えなければならない。

おわりに

教師が変わらないのではない。
教師が変われない前提を、変えずにきた人たちがいるだけだ。

子どもを真ん中に据える教育を本気で目指すなら、
問い直すべき相手は、いつも「現場」だけではない。

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