「トレセンのスタッフって、あれだけの時間と責任を負っているのに、なぜこんなに対価が低いのだろう」
現場に関わったことのある指導者なら、一度は感じたことがある疑問ではないだろうか。
それでも制度は、長年“問題なく”回ってきたように見える。
だが本当にそうなのだろうか。
「名誉」と「将来性」で支えられてきた仕組み
トレセンスタッフの報酬は、金銭よりも
• 選ばれたという名誉
• 経歴としての実績
• 次につながるかもしれない期待
といった目に見えない価値で代替されてきた。
特に若手指導者ほど、
「今は勉強」「声をかけてもらえただけでありがたい」
そう思ってしまう。
こうして、対価を求めないことが美徳のように扱われる文化が定着していった。
「子どものため」という正義が、声を封じてきた
育成年代のサッカーには、常に強い言葉がある。
• 子どものため
• 地域のため
• サッカー界の未来のため
これらは本来、尊い理念だ。
しかし同時に、
「お金の話をするのは志が低い」
「それでもやるのが本物だ」
そんな空気を生み出してきたのも事実である。
結果として、
払わなくてもやってくれる人がいる構造が固定化された。
協会側から見れば「払う理由がなかった」
冷静に見れば、組織側にとってはこうだった。
• 応募者は毎年いる
• 辞めても代わりは見つかる
• 成果は短期的に見えにくい
• 責任の所在も曖昧
つまり、
コストをかけなくても制度は回ってしまった。
だから変わらなかった。
いや、変える必要を感じなかった。
本当は「成り立っている」のではなく「消耗している」
表面上は続いている。
だが内側では、確実に歪みが広がっている。
• 有能な指導者ほど疲弊し、去っていく
• 残るのは時間的余裕のある人
• 若手は「修行」という名で使い続けられる
• 改善提案は煙たがられる
これは持続可能な育成システムではない。
人を育てる仕組みが、人を削っている状態だ。
それでも今、問いが生まれている理由
最近になって、
• トレセンスタッフが集まらない
• 引き受け手が固定化する
• 負担に見合わないという声が漏れ始める
こうした変化が起きている。
それは、
「善意」だけではもう支えきれないところまで来た
というサインではないだろうか。
未来の育成のために、向き合うべき問い
トレセンは本来、
• 選手発掘
• 長期育成の方向づけ
• 地域指導の質を高める役割
を担う、極めて重要な場である。
だからこそ問いたい。
本当に、今の対価と扱いでいいのか。
それで、未来の指導者と選手を守れるのか。
制度が成り立っているように見えるときほど、
実は限界は近い。
この問いを口にすること自体が、
次の育成の第一歩なのかもしれない。

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