その一言は、授業を「進める」ためではなく、子を「救う」ためにある。 ――「今の意見どうですか?」の正体

「一人も取り残さない」
今や教育現場で、この言葉を聞かない日はありません。しかし、私たちは無意識のうちに、残酷な選別を授業で行っていないでしょうか。
1.「静かな脱落者」を作っていないか
活発な意見が出て、ハンドサインで賛否が示され、テンポよく進む授業。一見、理想的な授業に見えます。しかし、そこには「言葉にできなかった子」が置き去りにされています。
• 一生懸命に聞いていた子
• 納得したけれど、言葉が追いつかなかった子
• 「同じだ」と思ったけれど、手を挙げそびれた子
彼らは、教師が「なるほど、じゃあ次に行こう」と言った瞬間、授業という輪の外側へ静かに弾き出されます。
2.教えているのは「速さと声の大きさ」か
「今の意見どうですか?」という問いを省くとき、教室にはある「隠れたメッセージ(ヒドゥンカリキュラム)」が流れます。

「早く話せる人だけが、この場にいていい」
「聞いているだけでは、価値がない」

教師にそのつもりがなくても、子供たちは敏感に察知します。発言しない自分は「分かっていない子」なんだ、と。こうして「一人も取り残さない」という理念は、足元から崩れていきます。
3.「今の意見どうですか?」が、居場所を作る
ここで、あえて立ち止まって聞いてみる。
「今の意見、どうですか?」
この一言は、単なる確認ではありません。
「話せなくてもいい。今の話を聞いて、何かが動いたあなたの心に価値がある」という、教師からの承認です。
• 「今の意見をしっかり聞いていたから、頷けたんだね」
• 「言葉にならなくても、今の話を聞いて『おっ』という顔をしたよね。それが大事なんだよ」
こう声をかけることで、取り残されかけていた子は、学びの中心へと引き戻されます。「聞くこと=立派な参加である」と定義を書き換えてあげるのです。
4.「違う意見」こそが、教室を温かくする
もし、そこで違う意見が出たなら、それは最高のチャンスです。
「あなたが違う意見を言ってくれたから、みんなの考えが深まった。ありがとう」
この関わりの中で育つのは、正解を出す力だけではありません。
• 他者への敬意
• 自分と違う視点への感謝
• 「聞いてよかった」という安心感
「今の意見どうですか?」という問いは、知識を教える時間を、「心を育てる時間」へと変える分岐点なのです。
5.一言の重みに、覚悟を込める
「一人も取り残さない」のは、大きなプロジェクトではありません。
毎時間、目の前の「言葉を持たない子」を、いかに学びの輪に戻し続けるか。その泥臭い積み重ねです。
「今の意見どうですか?」
これはテクニックではありません。
「私は、あなたを決して見捨てない」という、教師としての決意の表明です。
この一言がある教室では、子供たちは安心して間違え、安心して耳を傾け、そして、自分自身の価値を信じることができるようになります。

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