この話をすると、かなりの確率で返ってくる言葉がある。
「それは、荒れを体験したことがないから言えるんだよ」
この言葉には、重みがある。
現場で本当にしんどい思いをしてきた人ほど、この言葉を口にしたくなる気持ちは分かる。
• 学級が落ち着かない
• 指示が通らない
• すぐしゃべる
• すぐ立つ
• すぐ崩れる
• 集団がまとまらない
そういう日々の中で、「コの字がいい」「グループがいい」なんて言われたら、
「いやいや、そんなことしたら余計に崩れるでしょ」
と思うのは、ある意味自然である。
でも、だからこそ、ここで一度だけ立ち止まって考えたい。
本当に、荒れる原因は“座席配置”なのだろうか。
ここを間違えると、対処が全部ずれていく。
荒れるのは、コの字だからではない。
まずはっきり言いたい。
荒れるのは、コの字だからではない。
荒れるのは、グループだからでもない。
もちろん、コの字やグループにしただけで全部うまくいくわけではない。
でも逆に言えば、前向き一斉にしたからといって、荒れないわけでもない。
ここは大事である。
実際、荒れる学級は、前向き一斉でも荒れる。
静かに前を向かせても、
• 心が離れている
• 気持ちが切れている
• 我慢だけで持っている
• 指示が“入っている”のではなく“押し込まれている”
という状態なら、見た目が静かでも、内側ではかなり不安定なことがある。
つまり、「前を向いている=落ち着いている」ではない。
ここを見誤ると、教育はどんどん“見た目の管理”に寄っていく。
子どもは、なぜ荒れるのか。
では、子どもはなぜ荒れるのか。
もちろん、理由は一つではない。
そこは単純化してはいけない。
荒れには、たいてい複合的な要因がある。
• 家庭の背景
• 発達特性
• 人間関係
• 自己肯定感の低さ
• 学習のつまずき
• 見通しのなさ
• 失敗体験の蓄積
• 大人への不信感
• 教室での居場所のなさ
いろいろある。
だからこそ逆に、「座席配置だけが原因」と考える方が雑なのである。
でも、その上でなお、一つかなり大事なことがある。
それは、“考えさせてもらえない状態”が続くと、人は荒れやすくなる。
ということだ。
これは子どもだけではない。
大人でも同じである。
ずっと受け身でいさせられると、人はしんどくなる
想像してみてほしい。
毎日ずっと、
• 前を向いて
• 指示を聞いて
• 言われた通りに動いて
• 正解を待って
• 自分の考えを出す前に答えを回収されて
• 必要な時だけ話してよい
そんな状態が続いたら、どうなるだろうか。
最初は従える。
でも、ずっとそれが続けば、どこかで苦しくなる。
人は本来、
• 話したい
• つながりたい
• 反応したい
• 自分の考えを出したい
• 「自分で動いている感覚」を持ちたい
生き物である。
それを長く抑え込まれると、エネルギーの出口を失う。
そして出口を失ったエネルギーは、別の形で噴き出しやすくなる。
• ふざけ
• 反抗
• 離席
• 私語
• 無視
• 暴言
• 投げやり
• やる気の消失
つまり時に“荒れ”とは、単なる問題行動ではなく、
「自分を出せない状態」が続いた結果の、あふれ出し
であることがある。
ここを見誤ると、現象だけを叩いて、原因を温存することになる。
コの字やグループは、むしろ“爆発しにくくする”可能性がある
ここで発想をひっくり返したい。
多くの人は、
「コの字やグループにしたら、しゃべるから危ない」
と考える。
でも、見方を変えるとどうだろう。
コの字やグループは、
しゃべれる
反応できる
確認できる
吐き出せる
つながれる
環境でもある。
つまりそれは、アウトプットの逃げ道がある環境だということだ。
これ、実はかなり大きい。
人は、何も出せない状態が続くと苦しくなる。
逆に、
• 少しつぶやける
• 仲間に確認できる
• 小さく反応できる
• 自分の考えを口にできる
だけで、かなり楽になる。
そう考えると、コの字やグループは“荒れの原因”どころか、
むしろストレスをため込みにくくする構造
とも言える。
ここはかなり重要である。
「でも、うまくいかない時がある」は、その通り
もちろん、コの字やグループにしただけで全部が解決するわけではない。
うまくいかない時もある。
• 指示が曖昧だった
• 発問がぼんやりしていた
• 課題が不明確だった
• 活動の見通しがなかった
• 子どもにとって難しすぎた
• そもそも関係性ができていなかった
そういうことは当然ある。
でもここで言いたいのは、それは座席配置だけの問題ではないということだ。
なぜなら、指示・発問・説明が不十分なら、前向き一斉でも崩れるからである。
ここ、かなり大事である。
つまり、コの字やグループがうまくいかなかった時に、
「ほら見ろ、やっぱり前向き一斉の方がいい」
と結論づけるのは早い。
それはもしかすると、座席の問題ではなく、授業設計や関係性の問題かもしれない。
この切り分けをしないまま、全部を“形”のせいにしてしまうと、本質からどんどん離れていく。
結局、最後は「信じているか」に行き着く
ここまで来ると、かなり核心が見えてくる。
結局この問題は、最後はここに行き着くのだと思う。
子どもを信じているか。
もっと言えば、子どもは、つながれる存在だと信じているか。
安心感の中で、自分を整えられる存在だと信じているか。
ここである。
もし根っこに、
• どうせしゃべる
• どうせ崩れる
• どうせ無理
• どうせ持たない
という前提があるなら、教室の環境も、言葉も、空気も、全部そこに引っ張られていく。
逆に、
• つながれる
• 考えられる
• 支え合える
• 整っていける
という前提があると、教室のつくり方そのものが変わる。
この差は大きい。
そして子どもは、大人が思っている以上に、その“前提”を敏感に感じ取っている。
オキシトシンは、荒れる要素ではない。
ここで、脳の話を少しだけ重ねたい。
前回も触れたように、人が安心感やつながりを感じる時、そこにはオキシトシンが関わっているとされる。
ざっくり言えば、オキシトシンは
• 安心
• 信頼
• つながり
• ぬくもり
• 関係性の安定
と深く関係するものとして語られる。
つまり、オキシトシンは“荒れる要素”ではない。
むしろ逆である。
安心できない。
つながれない。
自分を出せない。
誰とも結べない。
見てもらえていない。
そういう状態が続く方が、人は不安定になりやすい。
だからこそ、顔が見える。
反応が返る。
つながりやすい。
少し話せる。
少し出せる。
そういう環境は、単なる“形”ではなく、
子どもの心を安定させる土台になりうる。
ここをもっと本気で考えていい。
「荒れないように管理する」から
「荒れにくい環境をつくる」へ
ここで、視点を変えたい。
これまで学校はどちらかというと、「荒れないように管理する」
という発想を強く持ってきた。
もちろん、それも必要な局面はある。
でも、本当に大事なのはそこだけではない。
むしろこれから必要なのは、「荒れにくい環境をつくる」という発想ではないだろうか。
そのためには、
• 安心感
• つながり
• 見通し
• 小さなアウトプット
• 自分の居場所
• 仲間との関係
• 自分の考えが出せる空気
こうしたものを、日常のデフォルトにしていく必要がある。
そしてその入り口として、座席配置はとても大きい。
なぜならそれは、一瞬で変えられる“教室の前提”だからである。
最後に
「荒れるから無理」
その言葉には、現場のしんどさがある。
だから、その言葉を軽く扱いたくはない。
でも同時に、その言葉を“思考停止の終着点”にしてはいけないとも思う。
本当に問いたいのは、
なぜ荒れるのか。
何が子どもを苦しくしているのか。
何が、その爆発を起こりにくくするのか。
である。
その問いを本気で持つなら、
見えてくることがある。
それは、子どもを静かにさせることが、落ち着かせることとは限らない
ということ。
そして、
つながれる環境の方が、むしろ人は安定しやすい
ということ。
もしそうなら、私たちが変えるべきなのは、
子どもそのものではなく、
子どもが毎日生きている“教室の前提”
なのかもしれない。

コメント