【第5回】 「荒れるから前向き一斉」は、本当に正しいのか 〜子どもの爆発を“防ぐ”のではなく、“起こりにくくする”という視点〜

この話をすると、かなりの確率で返ってくる言葉がある。

「それは、荒れを体験したことがないから言えるんだよ」

この言葉には、重みがある。

現場で本当にしんどい思いをしてきた人ほど、この言葉を口にしたくなる気持ちは分かる。
• 学級が落ち着かない
• 指示が通らない
• すぐしゃべる
• すぐ立つ
• すぐ崩れる
• 集団がまとまらない

そういう日々の中で、「コの字がいい」「グループがいい」なんて言われたら、
「いやいや、そんなことしたら余計に崩れるでしょ」
と思うのは、ある意味自然である。

でも、だからこそ、ここで一度だけ立ち止まって考えたい。

本当に、荒れる原因は“座席配置”なのだろうか。

ここを間違えると、対処が全部ずれていく。

荒れるのは、コの字だからではない。
まずはっきり言いたい。

荒れるのは、コの字だからではない。
荒れるのは、グループだからでもない。

もちろん、コの字やグループにしただけで全部うまくいくわけではない。

でも逆に言えば、前向き一斉にしたからといって、荒れないわけでもない。

ここは大事である。

実際、荒れる学級は、前向き一斉でも荒れる。

静かに前を向かせても、
• 心が離れている
• 気持ちが切れている
• 我慢だけで持っている
• 指示が“入っている”のではなく“押し込まれている”

という状態なら、見た目が静かでも、内側ではかなり不安定なことがある。

つまり、「前を向いている=落ち着いている」ではない。

ここを見誤ると、教育はどんどん“見た目の管理”に寄っていく。

子どもは、なぜ荒れるのか。

では、子どもはなぜ荒れるのか。

もちろん、理由は一つではない。
そこは単純化してはいけない。

荒れには、たいてい複合的な要因がある。
• 家庭の背景
• 発達特性
• 人間関係
• 自己肯定感の低さ
• 学習のつまずき
• 見通しのなさ
• 失敗体験の蓄積
• 大人への不信感
• 教室での居場所のなさ

いろいろある。

だからこそ逆に、「座席配置だけが原因」と考える方が雑なのである。

でも、その上でなお、一つかなり大事なことがある。

それは、“考えさせてもらえない状態”が続くと、人は荒れやすくなる。

ということだ。

これは子どもだけではない。
大人でも同じである。

ずっと受け身でいさせられると、人はしんどくなる

想像してみてほしい。

毎日ずっと、
• 前を向いて
• 指示を聞いて
• 言われた通りに動いて
• 正解を待って
• 自分の考えを出す前に答えを回収されて
• 必要な時だけ話してよい

そんな状態が続いたら、どうなるだろうか。

最初は従える。
でも、ずっとそれが続けば、どこかで苦しくなる。

人は本来、
• 話したい
• つながりたい
• 反応したい
• 自分の考えを出したい
• 「自分で動いている感覚」を持ちたい

生き物である。

それを長く抑え込まれると、エネルギーの出口を失う。

そして出口を失ったエネルギーは、別の形で噴き出しやすくなる。
• ふざけ
• 反抗
• 離席
• 私語
• 無視
• 暴言
• 投げやり
• やる気の消失

つまり時に“荒れ”とは、単なる問題行動ではなく、

「自分を出せない状態」が続いた結果の、あふれ出し

であることがある。

ここを見誤ると、現象だけを叩いて、原因を温存することになる。

コの字やグループは、むしろ“爆発しにくくする”可能性がある

ここで発想をひっくり返したい。

多くの人は、

「コの字やグループにしたら、しゃべるから危ない」

と考える。

でも、見方を変えるとどうだろう。

コの字やグループは、

しゃべれる
反応できる
確認できる
吐き出せる
つながれる

環境でもある。

つまりそれは、アウトプットの逃げ道がある環境だということだ。

これ、実はかなり大きい。

人は、何も出せない状態が続くと苦しくなる。

逆に、
• 少しつぶやける
• 仲間に確認できる
• 小さく反応できる
• 自分の考えを口にできる

だけで、かなり楽になる。

そう考えると、コの字やグループは“荒れの原因”どころか、

むしろストレスをため込みにくくする構造

とも言える。

ここはかなり重要である。

「でも、うまくいかない時がある」は、その通り

もちろん、コの字やグループにしただけで全部が解決するわけではない。

うまくいかない時もある。
• 指示が曖昧だった
• 発問がぼんやりしていた
• 課題が不明確だった
• 活動の見通しがなかった
• 子どもにとって難しすぎた
• そもそも関係性ができていなかった

そういうことは当然ある。

でもここで言いたいのは、それは座席配置だけの問題ではないということだ。

なぜなら、指示・発問・説明が不十分なら、前向き一斉でも崩れるからである。

ここ、かなり大事である。

つまり、コの字やグループがうまくいかなかった時に、

「ほら見ろ、やっぱり前向き一斉の方がいい」
と結論づけるのは早い。

それはもしかすると、座席の問題ではなく、授業設計や関係性の問題かもしれない。

この切り分けをしないまま、全部を“形”のせいにしてしまうと、本質からどんどん離れていく。

結局、最後は「信じているか」に行き着く

ここまで来ると、かなり核心が見えてくる。

結局この問題は、最後はここに行き着くのだと思う。

子どもを信じているか。

もっと言えば、子どもは、つながれる存在だと信じているか。
安心感の中で、自分を整えられる存在だと信じているか。

ここである。

もし根っこに、
• どうせしゃべる
• どうせ崩れる
• どうせ無理
• どうせ持たない

という前提があるなら、教室の環境も、言葉も、空気も、全部そこに引っ張られていく。

逆に、
• つながれる
• 考えられる
• 支え合える
• 整っていける

という前提があると、教室のつくり方そのものが変わる。
この差は大きい。

そして子どもは、大人が思っている以上に、その“前提”を敏感に感じ取っている。

オキシトシンは、荒れる要素ではない。
ここで、脳の話を少しだけ重ねたい。

前回も触れたように、人が安心感やつながりを感じる時、そこにはオキシトシンが関わっているとされる。

ざっくり言えば、オキシトシンは
• 安心
• 信頼
• つながり
• ぬくもり
• 関係性の安定

と深く関係するものとして語られる。

つまり、オキシトシンは“荒れる要素”ではない。

むしろ逆である。

安心できない。
つながれない。
自分を出せない。
誰とも結べない。
見てもらえていない。

そういう状態が続く方が、人は不安定になりやすい。

だからこそ、顔が見える。
反応が返る。
つながりやすい。
少し話せる。
少し出せる。

そういう環境は、単なる“形”ではなく、

子どもの心を安定させる土台になりうる。

ここをもっと本気で考えていい。

「荒れないように管理する」から
「荒れにくい環境をつくる」へ

ここで、視点を変えたい。

これまで学校はどちらかというと、「荒れないように管理する」

という発想を強く持ってきた。

もちろん、それも必要な局面はある。

でも、本当に大事なのはそこだけではない。

むしろこれから必要なのは、「荒れにくい環境をつくる」という発想ではないだろうか。

そのためには、
• 安心感
• つながり
• 見通し
• 小さなアウトプット
• 自分の居場所
• 仲間との関係
• 自分の考えが出せる空気

こうしたものを、日常のデフォルトにしていく必要がある。

そしてその入り口として、座席配置はとても大きい。

なぜならそれは、一瞬で変えられる“教室の前提”だからである。

最後に

「荒れるから無理」
その言葉には、現場のしんどさがある。

だから、その言葉を軽く扱いたくはない。

でも同時に、その言葉を“思考停止の終着点”にしてはいけないとも思う。

本当に問いたいのは、

なぜ荒れるのか。
何が子どもを苦しくしているのか。
何が、その爆発を起こりにくくするのか。

である。

その問いを本気で持つなら、
見えてくることがある。

それは、子どもを静かにさせることが、落ち着かせることとは限らない

ということ。

そして、

つながれる環境の方が、むしろ人は安定しやすい

ということ。

もしそうなら、私たちが変えるべきなのは、
子どもそのものではなく、

子どもが毎日生きている“教室の前提”

なのかもしれない。

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