【第2回】 主体的な学びが育たないのは、子どものせいじゃない 〜“必要な時だけ”という発想が、なぜうまくいかないのか〜

「最近の子は、自分から考えない」
「言われたことしかやらない」
「受け身な子が多い」
「主体性が育っていない」

学校現場では、こういう言葉を聞くことがあります。

でも、そのたびに私は少し立ち止まりたくなります。

本当にそれは、子どもの問題なのでしょうか。

もちろん、子ども一人ひとりに違いはあります。
育ってきた環境も違います。
経験も違います。

でも、それでもなお、私は思うのです。

主体的な学びが育ちにくいとしたら、まず疑うべきは“子ども”ではなく、“環境”ではないか。

今日は、そのことについて考えてみたいと思います。

「必要な時だけ」で、本当に育つのか

教室の学びの形を変えようとすると、かなり高い確率でこんな声が返ってきます。

「話し合いが必要な時だけ、ペアやグループにすればいい」
「必要な時だけ、コの字型にすればいい」
「いつもその形にする必要はない」

一見、もっともらしい意見です。

実際、私も以前はそう思っていました。

でも、ここには大きな落とし穴があります。

それは、“必要な時だけ”という発想そのものが、
つながることや対話することを“例外”にしてしまうということです。

つまり、普段は前向き一斉が当たり前で、
人と関わるのは「特別な時だけ」という文化になってしまうのです。

でも、考えてみてください。

私たちが本当に育てたいのは、
• 必要な時だけ話せる子
• 特別な場面だけ協働できる子
• 研究授業の時だけ対話できる子

ではないはずです。

育てたいのは、日常の中で自然に人とつながり、考えを交わし、共に学べる子ではないでしょうか。

子どもは、「デフォルト」に強く引っ張られる

ここで大事なのが、デフォルトという考え方です。

人は、自分が思っている以上に、最初に置かれた「当たり前」に引っ張られます。

たとえば、スマホを買った時。
最初から入っている設定を、どれだけ細かく変えるでしょうか。

通知設定、文字サイズ、ホーム画面、表示方法…。

もちろん変える人もいます。
でも、多くの人は「変えられる」と知っていても、案外そのまま使います。

なぜか。

最初の設定(デフォルト)には、人の行動を規定する力があるからです。

これは教室でも全く同じです。

教室に入った瞬間、
• 机が全部前を向いている
• 視線は教師に向く
• 話すのは教師
• 子どもは聞く側
• 発言は許可制

そんな構造が目の前にあると、子どもはそこから「この場ではどう振る舞うべきか」を無意識に学びます。

つまり、前向き一斉という配置そのものが、「受け身でいること」を自然に学ばせてしまう可能性があるのです。

「必要な時だけ」が来ない理由

ここが本当に大事です。

「必要な時だけグループにすればいい」という考え方は、一見柔軟そうに見えます。

でも実際には、その「必要な時」が、思っているほど来ません。

なぜなら、人は基本的に、今の形のまま済むなら、そのままで済ませようとするからです。

これは怠けているという意味ではありません。
人間の自然な性質です。

授業の中で、
• 机を動かすのが面倒
• 時間がかかる
• 戻すのが大変
• 落ち着かなくなるかもしれない
• 今日は説明だけでいいか

そんなことが少しでも頭をよぎると、結局そのまま前向き一斉で進めてしまう。

するとどうなるか。

「本当は話した方がいい」
「本当は相談した方がいい」
「本当は共有した方がいい」

そんな場面ですら、いつの間にかスルーされていくのです。

そして1年が終わる頃には、“必要な時だけ”という言葉の裏で、ほとんどの時間が“必要ないこと”にされていた

ということが起きてしまいます。

子どもが受け身なのではなく、受け身になりやすい構造なのかもしれない

ここで、少し見方を変えたいのです。

子どもが受け身なのではなく、受け身になりやすい構造の中に置かれている

のではないか。

この視点です。

毎日、毎時間、
• 前を向き
• 教師の話を聞き
• 指示を待ち
• 許可されてから話し
• 先生が進める流れに乗る

そんな経験を積み重ねていたら、むしろ受け身になる方が自然です。

その中で「もっと主体的に」と言われても、子どもからしたら、かなり難しい話です。

だから私は、主体性が育たないのは、子どもが悪いのではなく、主体性が立ち上がりにくい環境の問題かもしれないと思っています。

ここを見誤ると、学校はすぐに「子どもを変えよう」とします。

でも本当に先に変えるべきなのは、子どもよりも、子どもを取り巻く構造の方なのではないでしょうか。

「つながること」が日常である教室は、何が違うのか

逆に考えてみます。

もし教室が最初から、
• 顔が見える
• すぐ話せる
• ちょっと聞ける
• 反応が返ってくる
• 一緒に考えるのが当たり前

という状態だったら、どうでしょうか。

その中では、
• 「聞いていいかな」
• 「ちょっと相談してみよう」
• 「こう思うんだけど」
• 「それってどういうこと?」

が、ずっと自然に起こりやすくなります。

これは、特別な「話し合い活動」をしなくてもです。

つまり、人とつながりながら学ぶことが、イベントではなく“日常”になる

ということです。

主体性は、こういう日常の中でこそ育っていくのではないかと思います。

おわりに

主体的な学びが育たない時、私たちはつい子どもの姿だけを見てしまいます。
• もっと考えなさい
• もっと話しなさい
• もっと自分から動きなさい

でも、その前に問いたいことがあります。

その教室は、本当に主体的になりやすい環境になっているか。

ここを抜きにして、子どもにだけ変化を求めるのは、少し酷かもしれません。

主体性は、子どもの「やる気」の問題だけではありません。

日常の当たり前が、その子の学び方をつくっている

のです。

次回は、いよいよこのシリーズの核心に入ります。

「主体的な学びをつくるために、たった一つだけ変えるとしたら」

それは何か。
かなりシンプルな話をしたいと思います。

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