【第2回】 主体的な学びが育たないのは、子どものせいじゃない 〜“必要な時だけ”という発想が、なぜうまくいかないのか〜

前回、
主体的とは「授業の形」ではなく、「子どもの学びの状態」である
という話を書きました。

では、その状態は何によってつくられるのか。

今日は、その話です。

結論から言えば、私はかなり本気でこう思っています。

主体的な学びが育ちにくいのは、子どもたちの意欲の問題というより、“環境のデフォルト”の問題ではないか。

そして、この話を避けたまま、方法だけを増やしても、本質はあまり変わらない気がしています。

「必要な時だけ、ペアやグループにすればいい」

本当にそうでしょうか?

学校でよく聞く言葉があります。

「必要な時だけ、ペアやグループにすればいい」
「必要な時だけ、コの字型にすればいい」

一見、その通りに聞こえます。

確かに、授業の内容に応じて形を変えること自体は悪いことではありません。

でも、ここで少し考えてみてほしいのです。

あなたの教室で、「必要な時」は、1年間に何回ありますか?

これは、ぜひ隣の人や、学年の仲間と少し話してみてほしい問いです。

「必要な時だけ変える」と言うけれど、その“必要な時”って、1年間の中で何回あるだろう?

小学校高学年なら、年間の授業時数はおよそ1015時間です。

その中で、
• 「今日は話し合いが必要だから動かそう」
• 「今日はグループが必要だから変えよう」
• 「今日は対話が大事だからコの字にしよう」

そうやって、本当に座席配置を変えている時間は何回あるでしょうか。

10回でしょうか。
20回でしょうか。
30回でしょうか。

仮に50回あったとしても、
残りの965時間はどうでしょうか。

結局、子どもたちはほとんどの時間を、“前向き一斉”という環境の中で過ごしていることになります。

そして、子どもを育てるのは、特別な数回の授業ではありません。

残りの“ほとんどの時間”です。

ここが本当に大事です。

人は、「必要な時だけ変える」ほど自由ではない

ここで少し、教育の話を離れます。

でも、実はここが本質です。

人間は、自分で思っているほど、自由に行動を選んでいません。

私たちは想像以上に、最初に設定された“当たり前”に支配されて生きています。

これを行動科学では、
デフォルト効果と呼びます。

臓器提供の意思表示の話が、なぜこんなに大事なのか

有名な例があります。

亡くなった後の臓器提供について、
国によって制度が違います。

ある国では、
• 「提供したい人だけ、意思表示をする」

という仕組みです。

一方で別の国では、
• 「原則として提供することになっていて、希望しない人だけ外れる」

という仕組みです。

すると、何が起こるか。

制度の違いだけで、人々の意思表示率は驚くほど変わります。

なぜか。

それは、人々の善意や価値観が急に変わるからではありません。

そうではなく、最初の設定が違うからです。

つまり、人は
• 変えられるなら変える、ではなく
• 最初のままでいる

という傾向がとても強いのです。

スマホの初期設定も、まったく同じ

もっと身近に言えば、スマホも同じです。

通知設定、音の設定、プライバシー設定、表示設定。

最初から全部細かく変える人って、どれくらいいるでしょうか。

多くの人は、
• 「必要になったら変えよう」
• 「そのうち見直そう」

と思いながら、結局そのまま使っています。

つまり、「変えられる」ことと、「実際に変える」ことは違うのです。

そして、教室もまったく同じです。

教室のデフォルトが、子どもの学び方を決めている

今の多くの教室のデフォルトは、一斉前向きです。

全員が前を向き、
先生を見ることが基本で、
必要な時だけ机を動かす。

この環境の中で、子どもたちは何を学ぶでしょうか。

無意識のうちに、こう学んでいきます。
• 正解は前にある
• 見るべき相手は先生である
• つながるのは特別な時だけ
• 発言は指名されてから
• 学びは“受け取るもの”である

もちろん、そんなつもりで教えていなくても、環境そのものがそういうメッセージを出してしまうのです。

だから、
「主体的になってほしい」
「対話的になってほしい」
と願いながら、日常の環境はその逆になっている、という矛盾が起きやすいのです。

子どもを育てるのは、「特別な授業」ではなく「毎日の普通」

ここは、本当に大事です。

学校ではつい、
• 公開授業
• 研究授業
• 工夫した1時間
に目が向きます。

でも、子どもを育てているのは、そういう特別な時間だけではありません。

むしろ本当に子どもを育てているのは、
毎日の普通
です。
• 毎日どんな向きで座るのか
• 毎日誰の顔を見るのか
• 毎日誰とつながりやすいのか
• 毎日どんな空気の中で学ぶのか

この“普通”が、子どもの学び方そのものをつくっていきます。

だから、もし本気で主体的な学びを育てたいなら、考えるべきは

「特別な授業をどうするか」ではなく、
「毎日の普通をどう設計するか」

なのではないでしょうか。

次回はいよいよ、じゃあその「たった一つ変えるもの」は何なのか、そこをはっきり書きます。

次回予告

主体的な学びをつくるために、たった一つだけ変えるとしたら何か

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