教育の中で、この言葉はよく聞く。
そしてそれは、間違いなく大切な願いである。
ただ、その願いを持ちながらも、
時々考えてしまうことがある。
“自分からできる”ことと、“主体的である”ことは、本当に同じなのだろうか。
自分から始めることはできても、なぜそれをするのかは考えていないかもしれない。
進んで動いていても、本当は周りに合わせているだけかもしれない。
発言していても、それが学びを深めるためではなく、ただ正解を当てにいっているだけかもしれない。
そう考えると、主体的という言葉は、思っている以上に簡単ではない。
見えやすい行動だけで判断してしまうと、私たちは“主体的っぽい姿”を見て安心し、本当に見なければいけないものを見落としてしまうのかもしれない。

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