ある大先輩から、こんな言葉を聞いたことがあります。
「自分が“いい”と思う人が、いいと言う人間は、だいたい自分にとってもいい。
逆に、自分が尊敬できない、ダメだと思っているものを“いい”と言う人は、自分とは合わない。
そして、自分がダメだと思う人が『あいつはダメだ』と言う相手は、案外いい人だったりする。
これは、結構当たる。」
教員生活22年、人生で言えば45年ほど過ごしてきて、
この言葉は経験的に「確かにそうだ」と感じています。
人は他者を評価しているようで、
実はその評価を通して自分自身を語っているのだと思います。
管理職という立場になると、
私たちは日常的に「評価する側」に立ちます。
・この実践はどうか
・この教員はどうか
・この挑戦は認めるべきか
その一つ一つの判断は、
学校全体の空気や方向性を、確実につくっていきます。
ここで一つ、問いを投げかけたいと思います。
私たちは、どんな教員を「いい」と言っているでしょうか。
• 言うことをよく聞く教員でしょうか
• 失敗しない教員でしょうか
• 目立たず、波風を立てない教員でしょうか
それとも、
• 子どものために挑戦する教員
• まだ言語化できなくても問いを持っている教員
• 不器用でも誠実に向き合おうとする教員
管理職が「誰を評価するか」は、
その学校が「何を大切にしているか」を無言で語ります。
逆に言えば、
管理職が「ダメだ」と切り捨てたものの中に、
本来育てるべき芽が含まれていることも少なくありません。
評価とは、序列化のためのものではなく、
可能性をどこに見ているかの表明なのだと思います。
私たちは完璧ではありません。
だからこそ、自分の評価を時々立ち止まって見直す必要があります。
• なぜ、この人を高く評価しているのか
• なぜ、この挑戦に違和感を覚えたのか
• その違和感は、本当に子どものためだろうか
管理職が変われば、
学校は大きく変わります。
評価の基準が変われば、
挑戦する教員は安心し、
萎縮していた教員は息をし始めます。
「誰を『いい』と言うか」
その問いを持ち続けることが、
管理職にとって最も基本的で、
最も誠実な自己研修なのかもしれません。

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