「1をつける」ことの意味を考える——通知表と自己肯定感のあいだで
カテゴリ:教職員向け対談記事
タグ:通知表、評価のあり方、教員の自戒、教育改革
こんな方に読んでほしい
- 評価や評定に日々悩みながら通知表を作っている担任の先生
- 子どもの可能性を数値で測ることに違和感を覚えている若手教員
- 評価基準や評定の運用に迷いを感じている学年主任・教務主任の方
- 通知表がもたらす影響について、保護者の視点も含めて考えたい教育関係者
このブログで得られること
- 通知表の評価が子どもに与える心理的影響についての実感
- 岐阜県美濃市の通知表廃止の取り組みからの具体的示唆
- ベテランと若手教員の率直な対話による「悩みの共有」
- 通知表や評価を見直す際の新たな視点と具体策のヒント
記事のポイント
- 「1」の評価がもたらす“見えにくい傷”をどう受け止めるか
- 評価が子どもの自己肯定感や家庭との信頼関係に及ぼす影響
- “評価する側”の教員自身が疲弊しないためにできること
目次
通知表が突きつける「数字」と「人間性」
「1が並ぶ通知表を見て、あの子はどう思うんだろう——」
ある保護者の言葉が胸に残っている。長男は通知表で「よくできる」が多かったが、同じように育てた次男には「1」が並んだ。「報われないどころか、自己否定だけが積み重なるようだった」と。
先生方が苦しみながら“評価”をつけているのは知っている。それでも、家庭から見ると「頑張っても1が続く通知表」が子どもに与える無力感は計り知れない。
岐阜県美濃市の取り組みと、そこからの学び
2025年、美濃市では市立小学校1年生を対象に通知表を廃止する方針を打ち出した。「子どもたちの内面の育ちや頑張りを見たい」「発達段階に応じた評価の在り方を模索したい」と。
これは「評価を放棄する」のではなく、「評価のあり方を根本から問い直す」ための挑戦である。
対談:成績を「つける側」の葛藤
ベテラン教員(20年目)
「正直、昔は“数字で示すことが責任”だと思ってた。でもね、“1”をつけるときって、毎回胸が痛むんだ。『これがこの子の今学期の結果です』って断言していいのか?って。」
若手教員(2年目)
「実習中、指導教官の先生が『この子は本当に頑張ってる。でも、どうしても“1”をつけるしかない』と悩んでいた姿を思い出します。“1”をつけるって、すごく重いことなんですよね。」
ベテラン教員
「“評価”って、学びを支えるためにあるはずなんだよね。だけど“評定”が目的になると、テストの点だけで測らざるを得なくなる。本当の意味で、子どもを見てるとは言えなくなる。」
若手教員
「例えば、単元ごとのテスト結果をグラフ化して、保護者が家庭で見られるようにすれば、“通知表”としての機能は果たせますよね。そのぶん通知表では『この子の良いところ10個』を書いたほうが意味があるかもしれません。」
ベテラン教員
「いいね、それ。通知表が“評価”じゃなくて、“記録”でもなくて、“応援”になっていったらいいのにね。」
じゃあ、これからどうする?
私たちは「成績をつける」ことに慣れてしまった。でも、その“慣れ”が子どもたちを傷つけている可能性を忘れてはいけない。
「1をつける責任」は、「この子の成長を引き出す責任」と同義でなければならない。
評価を通じて、何を伝えたいのか。その問いから逃げないこと。それこそが、今の教師に求められている姿勢ではないだろうか。
子どもたちの自己肯定感を守りながら、どう評価をしていくか。現場の悩みは深く、簡単な答えはありません。けれど、声を出し合い、知恵を寄せ合うことならできます。
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