座席配置にこだわるわけ


なぜ教室の座席は今も一斉前向きなのか?コの字型配置とボトムアップ教育の可能性

なぜ教室の座席は今も一斉前向きなのか?コの字型配置とボトムアップ教育の可能性

導入:見過ごされている「座席配置」の問い

教室で子どもたちは年間何時間、授業を受けているだろうか。1015時間。そう、1015時間もの間、基本的には前を向いて、先生の話を聞いている。それが「授業」だと思っている人が多いし、実際にそうなっている教室も多い。
だけど…本当にそれでいいのだろうか?いや、正直なところ、自分自身がそれを疑ったことすらなかった。でも先輩の話を聞いて、ふと立ち止まって考えるようになった。「なぜ、教室の座席はいつも一斉前向きなんだ?」って。

なぜコの字にしないのか?

なぜ、教室の座席をコの字型にしないのだろうか?「対話を生む座席配置」の重要性を多くの人が語っているのに、現場では今も一斉前向きがスタンダードのままだ。

理由は単純だ。「しない」のではなく、「選択肢がない」のだ。そもそも一斉前向きしか知らない。学校とはそういう場所。授業とはそういうもの。長年刷り込まれてきた「当たり前」が、疑われることなく続いている。

「コの字型」や「アイランド型」は、“変わったやり方”としてではなく、“存在しないやり方”として扱われてしまっている。これが実は、一番の問題なんじゃないか。

一斉授業が刷り込む「当たり前」

初めて教室という空間を経験するのは小学校。そこで「学びとはこういうもの」と刷り込まれる。それが中学、高校、大学、そして社会にまで持ち越される。つまり、一斉授業は単なる学習スタイルではない。思考の枠組みであり、関係性の距離感であり、社会の在り方の縮図でもあるのだ。

教師が一方的に話す。生徒は黙って聴く。コーチが戦術を叫び、選手はその通りに動く。それが当たり前だと思ってしまう。そして「最近の若者は指示待ちだ」とか、「主体性が足りない」とか、そんな声が聞こえてくる。そりゃそうだろう。1015時間も前を向いて聴いてるんだから。受け身になる力は、相当鍛えられている。

ボトムアップは教室から始まる

ボトムアップの組織づくりが注目されている今、教育現場だって例外ではない。現場の声を拾い上げ、一人ひとりの意思と行動を大切にする構造。その発想は、教室の座席配置一つからでも始められる。

「対話が生まれる教室」「互いの目が合う空間」「考えを共有することが自然な場」。コの字型やアイランド型の配置が、そういう文化を日常にしていく。

畑さんの言葉を借りるなら、それは「ボトムアップの種を蒔く」行為だ。まずは小学校から、小さな当たり前を変えていこう。

行動へのヒント:小学校を変えるということ

今、教育に必要なのは「革命」じゃない。「微細な見直し」だ。コの字に座らせる、それだけでも見える景色が変わる。

授業は、「話を聴く」時間じゃない。「考える」「対話する」「判断する」時間に変えていく必要がある。
1015時間を、ただ聴いているだけの時間にするか。自分の言葉で、他者と考えを交わす時間にするか。選ぶのは、私たち教師だ。

ボトムアップの教育は、学校全体から始まるのではない。たった一つの教室から、一人の教師から、そして、今日から始められる。

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