教師よ、哲学をもて

教育哲学はどこにある?〜日常の局面指導から始まる教師の軸〜

投稿日:2025年4月22日|カテゴリ:教育哲学, 教師の在り方, 局面指導

目次

はじめに:教育哲学って難しい?

「教育哲学を持て」と言われても、最初はピンとこなかった。
教育って、もっと“現場のノウハウ”とか“目の前の子どもへの対応力”が大事なんじゃないかって。
でも、ある時気づいた。
哲学って、なにも難しい理論や本を読まなくても、日常の中に生きているんだって。

対談:日常の指導に“哲学”は宿るか?

登場人物

  • 私(中堅教師):日々の実践に悩みながらも、自分の軸を模索中
  • 先輩教師:現場歴20年のベテラン。教育哲学が染み出ているタイプ

― 教育哲学って、持たなきゃダメですか?

私:「正直、“教育哲学を持て”って言われても、ふわっとしてて…」
先輩:「その気持ち、わかるよ。でもね、教師の哲学って、“他を思いやるために自分を鍛える”生き方そのものなんだ」
私:「他を思いやるために、自分を鍛える…?」
先輩:「そう。子どものために、ルールを教えたり、掃除を一緒にしたり。あれって全部、自分の在り方を問われる行為なんだ」
私:「日直の子に、“明るい挨拶をしよう”って言ってる自分が、朝ぼーっとしてたらダメってことですね」
先輩:「そう。教師の哲学は、掃除、日直、ルール指導…そういう小さな局面に宿るんだ」

― 哲学って、見えないけど、伝わるんですね

私:「たしかに、“掃除は教育だ”って言われたことがあるけど、なんとなくしか捉えてなかったです」
先輩:「その“なんとなく”を、意識に変えるだけで違うよ。“掃除を通して、どんな人に育てたいか”って問い直すことが、もう哲学だから」
私:「なるほど…。でも、子どもに伝わってるんでしょうか」
先輩:「目には見えないけどね。でも、教師が“自分の哲学”を意識して行動するとき、それはちゃんと子どもの心に届く。不思議なものだけど」
私:「それ、信じて続けてみたいです」

今こそ、教師が「哲学」を持つ理由

教育現場には正解がない。
だからこそ、自分の「哲学」が必要になる。
教育基本法にも書かれている“人格の完成”というゴールに向かうには、教師自身が“どう生きるか”という問いに向き合わなくてはならない。
教育哲学は、大げさなものではない。日々の実践の中にある、小さな「なぜ?」の積み重ね。
掃除の声かけ、日直の育て方、ルールの説明の仕方…。
すべてが「人格形成」につながっているという視点を持てば、どんな指導にも意味が宿る。

おわりに:目に見えないものを育てる

今日もまた、掃除の時間が来る。
その一瞬に、哲学がある。
なんでもない日常にこそ、教師の在り方がにじみ出る。
目に見えないものを大切にするからこそ、教育は“人を育てる”営みになるのだと思う。
そしてそれは、きっと子どもたちの心に静かに届いている――そう信じて、明日もまた教室に立ちたい。

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