学校は、幸せになるための場所である

ある大学に合格した友人が、こう話してくれました。
「勉強は塾でしていた。学校は息抜きで、友達と遊ぶところだった」と。

教員としてこの言葉を聞くと、どこか切ない気持ちになります。
しかし一方で、確かに「学校が息抜きの場」であるという側面も否定できません。特に、家庭環境や地域環境に恵まれない子どもたちにとっては、学校こそが「安心して息をつける場所」であり、「人と関われる数少ない場」でもあるのです。

見える学力と見えない学力

学力という言葉には、テストの点数や偏差値といった“見える学力”だけでなく、
聴く力、話す力、比較・検討する力、協働する力といった“見えない学力”があります。
こうした力は、誰かと意見を交わし、感情をぶつけ合い、時に失敗を共有しながらこそ育まれるものです。
それは、まさに教室という「生きた社会の縮図」でこそ培われる力です。

幸せの定義と学校の機能

精神科医・樺沢紫苑さんは「幸せ」を、次の三つで説明しています。
1. セロトニン的幸福(心と身体の健康)
2. オキシトシン的幸福(人とのつながり)
3. ドーパミン的幸福(達成・成長の喜び)

この三つのバランスが取れたとき、人は「幸福だ」と感じるといいます。

学校生活を見てみると、
登校時に朝日を浴び、友だちや先生と会話を交わすことでセロトニンが分泌され、
仲間との支え合いや信頼関係からオキシトシンが生まれ、
テストや行事での達成体験によってドーパミンが得られる。
まさに、学校は「人が幸せになるための仕組み」として理にかなっているのです。

一方で、いわゆる「大型の塾」では、ドーパミン的幸福――つまり“成果を出す喜び”は得やすいものの、
人との関わりや身体・心の安定といった他の幸福要素は得にくい。
だからこそ、学校という場が果たすべき役割は決して小さくないのです。

教室は「幸せの練習場」

学校は、ただ知識を教える場ではありません。
人と関わることで、自分を知り、人を思いやることを学ぶ場所。
多面的・多角的に物事を捉え、協働しながらよりよい関係を築いていく力を育てる場所です。

「見える学力」だけでなく、「見えない学力」を育てる気概を忘れてはならない。
そしてその根底には、「学校は幸せになるためにある」という理念が流れていなければなりません。

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