「先生、またテストの丸付けが山ほどあります…」
放課後の職員室で、そんな声をよく聞く。
確かに、日々の小テストや単元末テスト、ノートチェック。
教師が一人で丸付けをし続ければ、体力的にも精神的にも限界がある。
しかし、そもそも“丸付け”や“朱書き”は誰が行うべきものなのか。
そこに、教育実践の中で受け継がれてきた一つの考えがある。
「テストの丸付け、ノートの朱書きも、勉強のうちである」
採点を“教員の仕事”として抱え込むのではなく、
“子どもが自分の学びを確かめる時間”に変える発想が大切なのだ。
⭐︎丸付け、朱書きを任せるという教育
丸付けや朱書きを子どもに任せることには、三つの意味がある。
① 自分の力を客観的に見る力を育てる。
点数のつけ方、間違いの見つけ方、正答との照合、他者の良いところを探す。
これらはすべて、学びの「メタ認知」を高める行為である。
② 誠実さを育てる。
自分や友達の答案に誠実に丸をつけることは、
「正直に学ぶ」姿勢そのもの。
信頼の文化を育てることにもつながる。
③ 授業時間内に学びが完結する。
丸付けを子どもと共に行えば、テストが終わった瞬間から
「何を間違えたか」「どう直すか」の対話が生まれる。
夜遅くまで丸をつけて返すよりも、ずっと“生きた学び”になる。
⭐︎テストの種類に応じた丸付けの工夫
もちろん、すべてのテストを子ども同士に任せる必要はない。
大切なのは、「丸付けの目的に応じた方法」を選ぶことだ。
• 漢字の小テスト・算数の小テスト
→ 隣同士で丸付け。
その場で間違いに気づき、すぐ直せる。
教師は机間を回って全体を見守る。
採点が学び直しに直結する。
• ノートチェック
→ 教師が行う。
点数ではなく“承認”を返す時間として。
コメントやサインで、努力や工夫を見つけ出して返す。
• 単元末テスト(まとめの評価)
→ 教師自身が丸付けする場合も多い。
ただし、理想は“時間差で丸付けが終わる授業設計”。
終わった子から順に前に持ってこさせ、
その場で採点・返却していく。
テストが終わる頃には、採点もほぼ完了。
翌日に持ち越さず、即座に学びの振り返りへ入ることができる。
⭐︎丸付けを「教育」にする
丸付けを子どもに任せるとき、教師は何もしなくていいわけではない。
むしろ、丸付けの仕方を教えること自体が教育である。
・赤ペンの使い方
・採点のルール
・「正確に・静かに・誠実に行う」姿勢
こうした“採点の作法”を丁寧に教え込むことで、
子どもは「学びを自分で整える力」を身につけていく。
⭐︎おわりに
丸付けを「負担」から「学びの場」に変えるには、
教師が“すべてを抱え込む”発想から一歩離れることだ。
テストは、点を取るためのものではなく、
自分の学びを見つめ直すためのもの。
だからこそ――
テストが終わった瞬間に、採点もほぼ終わっている。
この状態こそが、子どもも教師も幸せになる理想形だ。
採点の主導権を少しずつ子どもに返していく。
それが、“自ら学ぶ力”を育てる第一歩である。

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