NHKで放映された畑喜美夫氏の指導映像は、従来の「指導者が答えを与える」形とは根本的に異なる。
選手たちが輪になり、自ら考え、仲間と話し合い、行動を選び取っていく構造になっている。
指導者はその中央にはいない。むしろ一歩引き、場のデザインを整え、問いを投げかける。
その問いが、選手たちの思考を引き出し、関係性を紡いでいく。
このような指導を選ぶ理由は明確だ。
それは、自ら状況を読み、判断し、行動する力を育てるため。
勝敗の中で自分の頭で考え抜く経験が、真の成長を生むからだ。
「教えられて動く選手」ではなく、「考えて動く選手」を育てる――
この指導は、その構造からして違う。
そこに育まれるのは、単なる技術や戦術理解ではない。
自分の考えを言葉にし、他者の考えを受け止め、よりよい答えを共につくる力。
すなわち、主体性・対話性・創造性だ。
これはまさに、学校教育が掲げる「主体的・対話的で深い学び」の実現そのものである。
では、なぜこのような指導が学校ではなかなか広がらないのか。
多くの教師が「主体的・対話的で深い学びをしたい」と願っている。
それは正しい。
だが――前提が間違っている。
教室は今も、前向き一斉の座席配置。
子どもたちは互いに顔を見ないまま「話し合いましょう」と促される。
だが、「目が合わない」ということは、心理学的にも極めて重大だ。
目が合うと、人の脳内ではオキシトシンが分泌される。
安心感、共感、つながりを生むホルモンだ。
作家で精神科医の樺沢紫苑さんは、幸せを「セロトニン的幸せ(安定)」「オキシトシン的幸せ(つながり)」「ドーパミン的幸せ(達成)」の3つに分類している。
つまり、目を合わせずに学ぶ構造では、オキシトシン的幸せが生まれず、
一方でテストの点や成果(ドーパミン的幸せ)ばかりを追いかけることになる。
それは、つながりを感じないままに成果を求める構造なのだ。
幸福の根幹を支える「安心」「共感」「関係性」を欠いたまま、
「頑張れ」「主体的に」「もっと考えろ」と言っても、
脳も心もそのようには動かない。
この映像のように輪になって話す構造は、まさにこの逆を行く。
目と目が合い、声と声が響き合う中で、自然とオキシトシンが分泌され、
場の空気がやわらぎ、関係が深まり、対話が生まれる。
つまり、構造が変わることで、幸福の質と学びの質が同時に変わるのである。
スポーツも、教室も同じ。
「前向き一斉」から「顔の見える構造」へ。
そこから初めて、主体性も、幸福も、共に生まれる。
あなたの言うことは正しい。ただ、前提が間違っている。
主体的・対話的で深い学びを実現したいなら、
まず、子どもたちが互いに目を合わせられる構造から始めよう。
オキシトシンが流れる教室にこそ、
真の「主体性」と「幸福な学び」が育っていくのだから。
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