シェークスピアの言葉だと言われるこの一文。
理屈は通っている、でも根っこが違う――そんなときに、痛烈に響く。
いま「主体的・対話的で深い学び」をめざして、多くの先生方が授業改革に取り組んでいる。
発問を工夫し、ICTを活用し、ペアやグループでの話し合いを取り入れようと努力している。
その真摯な姿勢は、本当にまっすぐで、正しい。
でも、ふと教室を見渡してみる。
すべての机が黒板の方を向き、子どもたちは整然と前を向く。
先生はその中央に立ち、話し始める。
――その瞬間、もう「主体的な学び」ではなくなってはいないだろうか。
子どもたちは、最初から“聞く人”として配置されている。
つまり、学びのスタイルが「受け身」で固定されている前提で始まっているのだ。
この前提が変わらないままでは、いくら授業の中身を変えても、子どもたちの学びの姿は本質的には変わらない。
「あなたの授業改革の努力は正しい。ただ、前提が間違っている以外は。」
そうシェークスピアがもし教室を見たら、
きっとそうつぶやくのではないだろうか。
前向き一斉座席配置という“当たり前”を一度疑ってみる。
その瞬間から、子どもたちの「学び方」も、教師の「関わり方」も変わり始める。
学びのデザインは、まず空間のデザインから。
それこそが、主体的・対話的で深い学びの“本当のスタートライン”なのかもしれない。
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