主体性は「座席配置」から始まる
「生徒主体」――。
多くの学校が掲げる理想です。
しかし、全国津々浦々の教室を覗けば、そこに広がっているのは前向き一斉座席配置。
教師が教壇に立ち、子どもたちは黙って前を向き、指示を待つ――。
これが日本の学校の「当たり前」です。
「選手主体」――。
サッカー界でもよく耳にする言葉です。
けれど、全国のクラブチームや中小体連の練習風景はどうでしょうか。
コーチの周りに輪になればまだ良い方で、ほとんどの場合、コーチの前に整列し、
まずはコーチの話を受け身で聞くところからスタートします。
主体性をうたう一方で、現場の“デフォルト”は完全に受け身。
この矛盾に気づかないままでは、本当の意味で「主体性を預ける」ことは絶対にできません。
「コの字型はダメ」という声に潜む見落とし
最近、YouTubeでこんな動画を目にしました。
タイトルは「通常の座席配置はコの字型。コの字型の欠点を知っていますか?」
おそらく「コの字型は欠点がある → だからダメだ」という論理で話されているのでしょう。
しかし、この主張には決定的な見落としがあります。
それは、前向き一斉座席配置がもたらす深刻な弊害に気づいていないということです。
前向き一斉座席配置が生み出す「見えない現実」
前向き一斉座席配置では、子どもたちは教師だけを見ています。
その結果、次のような現実が隠されてしまいます。
• 聞いていないのに「聞いているフリ」をしている子が大勢いる
• 前の人の頭しか見えないため、他の子がどんな表情で、何を考えているのかが分からない
• 困っている子や取り残されている子が、あたかも「問題ない」かのように見えてしまう
• いくら指示発問説明という指導言を工夫しても、教師が引っ張り続ける環境では自然と取り残されている子はいます。しかし、見とれません。これは紛れもない事実でしょう。
つまり、教師も子どもも、お互いの本当の姿が見えなくなるのです。
コの字型やグループアイランド型の配置では、自然と顔を合わせ、表情を読み合い、
「今、誰が困っているか」「誰がわかっていないか」に気づくことができます。
これが、主体的な学びや支え合いを生む土台になるのです。
コの字型を否定する人は、この決定的な視点を持っていません。
だからこそ、100年前のデフォルトバイアスから抜け出せないまま、
「授業法さえ工夫すればいい」という時代遅れの議論に留まってしまうのです。
環境を変えなければ、主体性は育たない
「主体性は授業法で育てるもの」――
多くの人がそう信じていますが、それは大きな誤解です。
主体性は、子どもたちの外側――環境からしか育だなあと言っても過言ではないでしょう。
なぜなら、非認知能力は「知識」ではなく「経験」からしか身につかないからです。
コの字型配置は、子どもたちに
「自分で考え、仲間と対話し、互いを支え合う」という経験を日常的に生み出します。
逆に、前向き一斉座席配置では、教師の言葉を待つ受け身な経験が多くを占めます。
100年前から未来を断ち切れ
YouTubeでコの字型を否定する声を鵜呑みにすれば、
私たちは100年前から続く「教壇中心・一斉配列」の価値観に縛られ続けることになります。
それは、子どもたちの可能性を閉ざし、受け身人間を育て続ける道です。
だから私は強く言います。
「授業を上手くする必要なんてない。
まずは座席配置という“環境”を変えてくれ!」
未来を変える第一歩は、教壇でも黒板でもありません。
机と椅子の並び替え――そこからすべてが始まるのです。
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