投稿日:2025年8月8日
執筆者:ゴンシャチ
目次
- 1. 学校の教室って、なんでこんなに昔のまま?
- 2. 誰も違和感を持たない理由
- 3. 環境が変わらなければ「深い学び」なんて無理
- 4. 教室の「当たり前」を疑え
- 5. まとめ:見慣れた風景ほど、盲点になる
1. 学校の教室って、なんでこんなに昔のまま?
100年前の写真を見ても、今の教室とほとんど変わらない。
前に黒板、教壇の上に先生の机、生徒は前向きで静かに座る。
テクノロジーは進化しているはずなのに、
教室の「学びのかたち」はまるで進化していない。
教室が「話を聞く場所」であって、「考える場所」になっていないとしたら、
それって、相当ヤバくないか?
2. 誰も違和感を持たない理由
一番こわいのは、誰も「変だ」と思っていないこと。
なぜだろう?
- 自分もそうやって育ってきたから
- 管理がしやすいから
- 変えると怒られそうだから
- 静かな教室が「いい教室」だとされているから
つまり、「考えたことすらない」んです。
むしろ、最初から考えることをあきらめている。
これを「思考停止」と呼ばずして、何と呼ぶ?
3. 環境が変わらなければ「深い学び」なんて無理
「主体的・対話的で深い学び」と言いながら、
全員が前を向いて、黙って話を聞いてる。
それ、どこが主体的?どこが対話的?どこが深い?
形だけを整えて、中身はそのまんま。
まるでコントみたいな矛盾。
学びを本気で変えたければ、
まず「環境」から変えるべきなんじゃないか?
4. 教室の「当たり前」を疑え
誰が決めたんだろう?
「教室は前を向いて座るもの」って。
もしかしたら、ずっと誰も疑ってこなかっただけかもしれない。
本当にその座席配置は、子どもにとって最適なのか?
教員の管理のためじゃなく、子どもの学びのためになっているか?
対話するための距離感になっているか?
教室の風景は、教育観そのものです。
だからこそ、一度、問い直してみる価値がある。
5. まとめ:見慣れた風景ほど、盲点になる
「変だ」と思わないのは、見慣れすぎているから。
でも、もしその風景が、
子どもの学びを奪っていたとしたら?
その「当たり前」が、未来を閉ざしていたとしたら?
だったら、一度立ち止まって問い直そう。
その座席、本当に子どものためのものですか?
前向き一斉配置を守ることが目的になっていないか?
管理の都合が、学びを阻害していないか?
変えるには勇気がいる。
でも、問いかけることは今すぐできる。
教室の座席に、問いを向けろ。
それが、学びの本気のスタートラインだ。
⭐︎最後まで読んでくれてありがとう!
この記事が、教室を見直すきっかけになれば嬉しいです。
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