人は“いつ”動き出せるのか──節目だからこそ、“静けさ”を見直す朝
読んでほしい人
- 7月に入り気持ちを切り替えたい教員
- 「静かな学級崩壊」かもと感じている担任
- 子どもに変化を求めて悩んでいる先生
得られること
- 「正論では人は動かない」ことの意味
- 変化のきっかけは“共鳴”であること
- 自分が変わることで教室が変わるヒント
本文
おはようございます。
今日は7月1日。ちょうど一年の折り返し、節目の日です。
さて、まず皆さんに問いかけたいのですが──
「人が何かを始めるのに、最もふさわしいタイミングはいつでしょうか?」
1月1日? 月曜日? 新年度の4月?
…でも本当は、「やろう」と思った“今この瞬間”なのかもしれません。
そして今日──7月1日という節目も、実は人が動き出すには絶好のタイミングです。
6月は、正直苦しい月でした。
クラスの空気が落ち着き、でもどこかモヤモヤする。
子どもたちも疲れ始め、教師自身も悩みが深くなる時期。
でも、だからこそ7月は希望です。
ちょっとしたきっかけがあれば、人は変われる。
──私は、今それを実感しています。
実は5年前の今日、私はこう日記に書いていました。
「痩せないとなあ…明日から走ろう。」
でも、実際には何もせず、気づけば5年。
わかってるけど、できない。まさに正論です。
でも先日、研修で出会った知人が、見違えるほど変わっていたんです。
86キロから60キロ。毎日走って、半年で別人に。
それを見て、「俺もやってみよう」と自然に体が反応しました。
これが“感情の納得”です。
理屈じゃない。誰かの変化に、共鳴して自分も動き出した。
そして、これって教室でも同じじゃないでしょうか?
最近、「静かな学級崩壊」という言葉をよく耳にします。
授業は静か、トラブルもない。…でも、子どもたちの目が死んでいる。
発言は控えめで、問いにも反応がない。
一見整っているけれど、心が動いていない。
これは、“静けさ”という名の危機かもしれません。
教師はつい、子どもに「もっと動いて」と言いたくなります。
でも堀裕嗣さんはこう言っています。
「子どもに変化を求める前に、まず教師が自分の関わり方を問い直せ」
「教師の“善意”は、時に抑圧になる」
つまり、子どもが変わるより先に、教師が変わること。
それが、教室の空気を動かす第一歩です。
では、今日、何ができるでしょう?
このあと朝の教室に入ったら、まず、子どもの表情を見てみてください。
「溌剌」としているか──つまり、自然な笑顔、声、生きた目があるか。
あるいは、あなた自身が変化してみるのもいい。
たとえば、いつもなら流している朝の挨拶。
今日はちょっと立ち止まって、クラス全体を見まわして、笑顔で、
「おはよう」と声にあたたかみを乗せてみる。
そんなささやかな“変化”からでも、教室は少しずつ変わります。
7月1日。
今日は節目です。
でも“けじめ”ではなく、“始まり”にできる節目です。
「よし、今日だけはちょっと意識して見てみよう」
そんな小さな一歩が、子どもの心を開く鍵になるかもしれません。
どうか、今日もすてきな一日になりますように。
まとめ
- 人が動き出すのは「節目」や「共鳴」があるとき
- “静けさ”の中に潜む学級の危機に気づこう
- まず教師が変わってみる──朝の挨拶からでも始められる
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