日本教育学会のシンポジウムで次期学習指導要領の議論が交わされた。
教授陣の話題提供も討論者の指摘も、どれも現場を意識した真摯なものだったと思う。条件整備、裁量の拡大、情報活用能力の育成――確かに大事だ。
けれども、読んでいてどうにも違和感が残る。
議論の根っこが、どこまでも「表面的」なのだ。
学習内容や教員の裁量の話ばかりで、もっと本質的な“前提条件”に手が届いていない。
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教室のデフォルトが一番の隠れたカリキュラム
学習指導要領に本当に書くべきは、学ぶ環境の“初期設定”だ。
なぜ、子どもたちの教室は「一斉前向き」が標準であり続けているのか。
職員室ではアイランド型がほとんどではないか?まさか、校長に向け、一斉前向きの職員室であるところはあるまい。みな、顔をいつでも見合える配置がほとんどで、談笑し、協働しながら仕事をしている。
話し合いのたびに机を動かすなどという発想を、教師は職員室では誰一人していないのに、なぜ子どもには「さあ話し合うから机を動かしましょう」と強いるのか。
これは教育の最大の“ヒドゥンカリキュラム”である。
主体的に学べ、対話せよ、協働せよと口で言いながら、目の前に広がるのは“頭の後ろ”ばかり。
この矛盾を子どもたちは敏感に感じ取る。
「結局は一斉で管理されるもの」というメッセージを、座席配置そのものが発信してしまっているのだ。
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「逆」をデフォルトにする勇気
コの字型やアイランド型を“特別な工夫”ではなく、“当たり前のデフォルト”にするべきだ。
一斉前向きは、むしろ「特別な必要があるときに限って使う」くらいでちょうどいい。
なぜなら――
• コの字型は、子ども同士の視線をつなげ、対話を自然に生み出す。
• アイランド型は、小グループ単位での協働を可能にし、学びを「社会的行為」として体感させる。
• 一斉前向きは、教師の説明や板書が必要な時だけ選択すればいい。
これこそが“主体的・対話的で深い学び”の土台だろう。
今までの「一斉前向きデフォルト」というバイアスを疑い、むしろその逆を標準にすることで、理念と実際が初めてかみ合う。
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環境を変えずに方法を変えても意味がない
座席が変わらなければ、いくら学習指導要領で美辞麗句を並べても、現場の空気は変わらない。
一斉前向きをデフォルトにしたまま、「アクティブラーニングを」「協働的な学びを」と唱えるのは、まさに砂上の楼閣だ。
子どもたちに本当に伝えるべきは「あなたの声が価値を持つ」「対話が学びを深める」というメッセージだ。
その最初の一歩は、方法論でも新教材でもなく――机と椅子の並べ方を変えることなのである。
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学びを変えるのは「内容」ではなく「環境」。
そして、その環境のデフォルトを疑うことからしか、教育の未来は開けない。
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