愚痴を言うたび、チャンスを逃していたかもしれない

最近観た樺沢紫苑さんの動画、「愚痴っぽい人への真剣なアドバイス」。
正直、耳が痛かった。
そして同時に、「ああ、これだ」とも思った。

樺沢さんは言う。

愚痴は、理想と現実のギャップから生まれる。

確かにそうだ。
私たちは、「こうあるべき」「あの人ならわかってくれるはず」と期待している。
その期待が裏切られると、つい愚痴が口をつく。

でも、愚痴を言った瞬間、私たちは“被害者”になる。
「どうせ上が悪い」「あの人がわかってない」と言ったとき、
実は、自分の行動権をそっくり手放しているのだ。

動画の中で印象的だったのは、
「愚痴を出すなら、“で、どうしたいのか?”をセットにする」という言葉。
たったそれだけで、愚痴が“行動”に変わる。

「自分が変えられること」と「変えられないこと」を分ける。
これは、シンプルだけど強い。
結局、愚痴を言っても現実は何も変わらない。
でも、“次にどうしたいか”を考えた瞬間、もう未来は動き出している。

私はこの動画を見て、「愚痴を言っていた時間」を思い返した。
あの時間、もしかしたら“改善のヒント”に気づけたかもしれない。
“誰かを変える努力”ではなく、“自分を動かす一歩”にできたかもしれない。

そう思うと、ちょっと悔しくなる。
そして同時に、「次は変えられる」とも思える。

もし、あなたが最近「つい愚痴が多いな」と感じているなら――
その裏には、“本当はこうしたい”という願いが隠れているかもしれません。
それに気づいた瞬間が、変わるスタートラインです。

最後にひとこと

愚痴は悪くない。
でも、愚痴の“あと”が人生を分ける。

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