雑草で世界は変えられる?──小さな道徳の授業から
「雑草をエネルギーにできるって、知ってますか?」
ある授業で、私はこう問いかけました。子どもたちは「えっ?」と目を丸くします。見慣れた草、邪魔者扱いされる雑草が、火力発電の代わりになるかもしれない。そんな話から始まる道徳の時間です。
エネルギーと争い──つながっている?
私は次に、こんな問いを投げかけました。
「エネルギー問題が解決したら、世界の争いはなくなると思う?」
子どもたちは真剣に考え始めます。「石油の取り合いがなくなれば、戦争も減るかも」「でも宗教や土地の問題は残るよ」──意見はさまざま。そう、ここが“ゆらぎ”の出発点です。
小さなことが、大きなことを動かす
私たちはつい、「平和」や「エネルギー問題」を大きな話だと思い込みがちです。でも、鈴木健二さんの提唱する「小さな道徳」は、日常の中の「えっ?」から世界を見直します。
雑草をエネルギーにするなんて、ちっぽけな話に思えるかもしれません。でも、それがエネルギーを「奪い合うもの」から「分かち合えるもの」に変える一歩だとしたら?
最後に子どもたちに伝えた言葉
「この草は、誰のものでもない。ただそこに生えているだけ。
でも、それが世界を少しだけ平和にできるとしたら──そんな未来って、ちょっと信じてみたくならない?」
おわりに
子どもたちは、静かにうなずいていました。大人が忘れがちな「つながり」と「可能性」に、小さな道徳は光を当ててくれます。
雑草のエネルギーは、もしかしたら“未来への希望”そのものかもしれません。
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