「なんで学校に行かなきゃいけないの?」に答えられますか?──若手と主任の対話から見える“学校の本当の価値”
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ある昼休みの対話から
「主任、最近よく子どもに聞かれるんです。“なんで学校に行かなきゃいけないんですか?”って…」
職員室の昼休み。若手教師がぽつりと漏らした一言に、私は思わずうなずいた。
たしかに、そう問われて即答できる大人、どれくらいいるだろう。
今回は、そんなリアルなやりとりを通して「学校に通う意味」について、改めて考えてみたい。
学校に行くメリットって何?
若手:「正直、今の時代、勉強だけならオンラインでもできるし…って思っちゃうんですよね」
主任:「確かに。でも、実際に“ひとりで続けられる子”って、少ないよ。特に小学生は」
若手:「なるほど…環境が整っているって、案外大事なんですね」
学校には、「学ぶための時間と空間」が用意されている。
教材もペース配分も、すべて揃っている。そして何より、「一緒に学ぶ仲間」がいる。
ひとりで勉強し続けるのは、実はすごく大変。
大人でも、「ゴルフの自主練やれ」と言われたらなかなか動けないのに、子どもが一人で机に向かい続けるなんて…無理ゲーだ。
行かない場合、何が失われる?
主任:「もし、学校に行かなかったら…きっと“本当の自分”がわからなくなると思うよ」
若手:「本当の自分…ですか?」
主任:「人と関わって、比較して、ぶつかって。そうやって、自分の輪郭って見えてくるものだからね」
学校という場で、いろんな価値観・個性・習慣に触れる。
それがなければ、自分の「強み」も「課題」も見えてこない。
ずっと家にいたら、分かるのは“自分の家の常識”だけ。
それはある意味、安全だけど、社会に出たときに大きなギャップになる。
“ぶつかり稽古”としての学校
主任:「子どもが社会性を身につけるためには、人と関わる練習が必要」
若手:「でも関わることで、トラブルも起きますよね…」
主任:「むしろ、それが必要。避けるんじゃなくて、“ぶつかって、折り合いをつける力”を育てるんだよ」
だからこそ、学校は「ぶつかり稽古」の場であるべきだと思う。
失敗しても、やり直せる場所。子どもたちは、その中で大きくなる。
教師こそ、学び続ける背中を見せるべき
主任:「結局、先生自身が“学び続けている人”かどうかも大きいよね」
若手:「え、やっぱりそうなんですか?」
主任:「うん。“学ぶって面白い”って姿を、子どもに見せていかないと」
私は今、オンラインサロンで学校外の人とも交流している。
視野が広がるし、子どもたちに伝えられる世界も増える。
春休みなどの長期休みは、自己研鑽や他者との出会いのチャンスだ。
学校は「幸せになるための場所」
アランの『幸福論』に、「幸福になる方法を教えるべきだ」という一節がある。
教育とは、「文化を伝えること」であり、「幸せに生きる術を手渡す営み」だと思う。
価値観が多様化する時代だからこそ、教師が「教えるべきこと」を明確に持ち、語れることが重要だ。
学校は天国ではない。だけど、「幸せになるための場所」であるべきだと思う。
今日、ちょっとだけ楽しくて。未来に、ちゃんとつながっている場所。
そんな学校を、みんなで育てていけたらと思っている。
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