子どもを責める前に、私たちができること

ある学級での給食後の出来事です。牛乳をこぼして服を着替えていた子が、歯磨きタイムの途中で戻ってきました。音楽はすでに半分以上終わっており、彼は「先生だって磨いてないじゃん」と言いながらも、歯ブラシを手に取って数分だけ磨き、みんなと同じタイミングでやめました。

すると、周囲の子たちが「全然磨いてない」と責め始めます。ある子は「先生、どう思いますか?」と私に問いかけてきました。

私は迷いました。正論を突きつけることもできた。でも、そのときあえてこう話しました。

「先生だったらさ、半分過ぎてたらもういいやって思っちゃうかもしれないよ。でも彼は、ちゃんと戻ってきて、歯ブラシを手に取ったよね。もし本当にサボるなら、そもそも戻ってこなかったかもよ」と。

その場は少し静まりました。ある男の子が「○○の歯なんだから、自分で責任を持てばいい」と口にし、空気が変わりました。責めることよりも、背景を慮る姿勢が少しずつ広がっていったのです。

その子も、後日から私の話をよく聴くようになりました。「責められる」と思っていたのに「理解された」ことで、心の構えが変わったのでしょう。

この出来事は、子どもたちだけの話ではありません。私たち教員もまた、完璧ではなく、失敗をします。そのとき、背景や事情に目を向けてもらえると、救われることがありますよね。だからこそ、私たちが子どもに向き合うときも、「見える部分」だけで判断するのではなく、「その内側」に目を向ける視点を持ちたいと思います。

正しさを押しつけるのではなく、対話を通して育てる。そんな姿勢が、子どもたちに「安心して失敗できる場所」を届けてくれるのではないかと、あの歯磨きタイムが教えてくれました。

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