女子サッカーの現場に見る「選手主体」とは何か

女子サッカーの試合を引率して、強く感じたことがある。
「選手主体」とは程遠い現状が、今もなお続いているということだ。

会場を見渡すと、どのチームも指導者が中心に立ち、選手たちはその周りに集まっている。ポジションを決めるのも、作戦を考えるのも、試合中に動きを修正するのも、すべて指導者の指示による。まるで、選手が駒のように扱われているように見えた。ハーフタイムになると、子どもたちは指導者の言葉を待ち、うなずきながらピッチへ戻る。
――その言葉、本当に自分の中で消化できているのだろうか。
――指示がなくなったとき、彼女たちは自分で判断できるのだろうか。

畑喜美夫さんの映像に映るチームの姿とは、あまりに対照的だった。
選手同士が話し合い、役割を決め、試合の中で判断を修正していく。指導者は答えを与えるのではなく、見守り、問いを投げかける存在に徹している。
――あなたのチームでは、選手が自分の言葉で作戦を語る場面がどれほどあるだろう。
――ミーティングの主役は、本当に選手だろうか。

なぜ、女子チームではこのような文化が根づかないのか。
「勝つためには指導者が導かなければ」という思い込みが、まだ根強く残っているのかもしれない。だが、勝利を最優先に据えた“管理型の指導”は、選手の自立や創造性を奪い、サッカーを「教えられるもの」にしてしまう。
――子どもたちの成長よりも、指導者の安心を優先していないだろうか。

子どもたちが本当に育つのは、指導者の指示通りに動けたときではない。
自ら考え、仲間と協働して答えを見いだしたときだ。
その瞬間にこそ、サッカーの教育的価値がある。

ボトムアップが求められている。
選手が考え、話し合い、決め、動く。その過程を信じきれるかどうか。
――私たちは、どれだけ選手に任せる覚悟を持っているだろう。
――「見守る勇気」をもてているだろうか。

今こそ、子どもたちが自分たちのサッカーを創る環境を整えたい。
ピッチの上で、選手たちが自ら語り、動き、責任を持つ。
その姿が広がることこそ、日本の女子サッカーの未来につながる第一歩だ。

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