選挙

今回の選挙――
正直、考えさせられた。
本音が見えないことが少し怖い。

そして、それを「みんなで決めよう」という言葉で包み込む、そのやわらかさだ。

いかにもファジー。
正面から論点をぶつけるでもなく、はっきりと方向性を語るでもない。
「これから一緒に考えましょう」という耳障りのいい言葉に、多くの人が安心して流されていく。

しかし――
それは本当に「自由な選択」だろうか?
明確な中身を示さないまま、曖昧な雰囲気だけで支持を集める構図は、
むしろ考える力を奪っていくものに見える。


本音を言わず、感覚で流す政治

政治とは、本来「決めること」である。
何を選び、何を捨て、何に責任を持つかを、正面から議論する場であるべきだ。

にもかかわらず、
「みんなでつくろう」「これから考える」「誰も否定しない」
――そうした耳にやさしい言葉が、選挙の主軸になっている。

だが、それは逃げであり、操作でもある。
問いの立たない場所では、誰も本気で考えない。
考えなければ、判断はすべて「雰囲気」に委ねられる。


教育の課題は、問いを立てる力の再生

教育の敗北とは、知識の欠如ではない。
問いを立てないこと、問いに向かおうとしない姿勢を生んでしまったことだ。

「どう思う?」「なぜ?」「本当にそれでいいの?」
そんな問いを日常的に浴びて育った人は、
曖昧な言葉の奥にある“意図”や“責任”を、自然と探ろうとする。

選挙も、教育も、
これからは問い直しの文化を育てなければならない。


雰囲気に流されず、立ち止まって考える力を

いま必要なのは、
耳にやさしい言葉にただ安心するのではなく、
「それって、結局どういうこと?」と問い返す習慣だ。

感化を逆手に取り、
そこから思考の扉を開くアプローチを、教育も社会も持たねばならない。

「みんなで決める」ためには、まず、
それぞれが自分の頭で問い、選び取る力を取り戻すことから始める必要がある。

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