ナイト症候群から抜け出そう ――教えない勇気が子どもを育てる

指示が飛び交うピッチで見えたこと

先日の女子サッカーのカップ戦。十数チームが参加していました。
どのチームを見ても、ピッチの周りには同じ光景がありました。
指導者が前に立ち、「こうしなさい」「ああしなさい」。
選手たちはそれを聞いて動くだけ。まるでコーチの“駒”のように。

ハーフタイムになると、また指導者がボードを持って話し始める。
子どもたちはうなずくけれど、自分の言葉では語らない。
指導者の頭の中にある「正解」に合わせようとするだけで、
自分たちの考えを出し合う姿はほとんど見られませんでした。

その一方で、ひとつだけ違うチームがありました。
選手同士がよくしゃべる。プレーの合間に「今のどうだった?」「もう少し広がろう」――そんな言葉が飛び交う。
彼女たちは笑いながら、考えながら、サッカーを楽しんでいたのです。
その差を生んでいたのは、技術ではなく環境でした。

環境が人をつくる

子どもたちは、指示の中では育たない。
人と関わり、対話しながら、自分の考えを形にしていく。
それはスポーツでも授業でも同じです。

ところが今、多くの現場で「対話の力」を育てる環境が整っていません。
学校では先生が前に立ち、一斉に説明。
クラブではコーチが指示を出し、選手は聞いて動く。
これでは、受け身の構造が日常になってしまいます。
週末のクラブで「さあ、話し合え」と言われても、
平日に“話す環境”がなければ、子どもたちはどうしていいか分からないのです。

ナイト症候群という罠

この構造を生む一因が、指導者の「ナイト症候群」です。
――教えナイト、指示しナイト、伝えナイト、声かけナイト。
「言わないと不安」「教えないと仕事をしていない気がする」
そんな心理が、子どもの思考の芽を摘んでしまうのです。

でも、本当の指導は“教えること”ではなく、“考えを引き出すこと”。
子どもが自分の言葉で語るまでの沈黙に耐えられるか。
その時間を信じて待てるか。
そこに、指導者としての覚悟と哲学が問われています。

ナイト症候群を脱するとは、
「黙っている勇気を持つこと」なのです。

それでも変わらない理由

では、なぜコの字型やアイランド型のような“対話を生む座席配置”が
いまだに学校のデフォルトにならないのでしょうか。

理由はいくつかあります。
ひとつは、幸せの定義が脳科学的に明らかになったのが最近だからです。
オキシトシンによる安心感やつながりの効果が注目され始めたのはここ十年ほど。
つまり、「関係づくりが学びの基盤」という考え方自体が、ようやく広まり始めた段階なのです。

もうひとつは、時間がかかるから。
対話は効率が悪い。
沈黙が生まれる。
でも、その“間”こそが、子どもの考えが形になる時間なのです。
言ってしまったほうが早い。
でも、早さを求めるほどに、子どもは“考える力”を失っていく。

赤ちゃんが教えてくれる「学びの原点」

「そんなことを言っても、子どもはすぐに話せるようにならない」と言う人もいます。
しかし、それは赤ちゃんを見れば分かることです。

赤ちゃんは、いきなり話し出しません。
笑顔や声かけ、スキンシップ――
無数のコミュニケーションの中で、少しずつ言葉を獲得していく。
つまり、人は“関係”の中で言葉を覚えるのです。

黙って見守り、寄り添う時間があるから、
初めて「話す力」が生まれる。
それは成長しても変わりません。
対話を育てたいなら、まずは環境を整えることが必要です。
コーチの周りに集まる形から、子どもたち同士が向き合う形へ。
教室で言えば、コの字型・アイランド型がその第一歩です。

教えナイトから、待つ指導へ

「教えナイト」「指示しナイト」「詰め込マナイト」。
こうした“ナイト症候群”から抜け出す鍵は、
待つ・聞く・つなぐの三つです。

子どもが自分の言葉で考え、仲間とつながるとき、
学びもプレーも自然に深まっていきます。
環境が人をつくる。
だからこそ、環境から変える勇気を。
机の向きを変えること。
その小さな一歩が、教室を変え、チームを変え、
子どもたちの未来を変えていくのです。

まとめ
• 「ナイト症候群」は、指導者の善意が生む“教えすぎ”の罠。
• 子どもを変える最短ルートは、環境を変えること。
• コの字型・アイランド型の座席配置が、対話と主体性の起点になる。

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