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「誰を変えようとしているのか」──教師として動き出すタイミング

静かな学級崩壊に向き合うには、まず教師自身が問い直すことから始まる。実体験を通して見えてきた、教育的成熟への道とは。

タグ: 教育、学級経営、静かな学級崩壊、堀裕嗣、教師の成熟、関わり方

きっかけは「変わった姿」

ある日、5年前の自分の日記を開いた。「痩せないとなあ。明日から走ろう…」と書かれていた。何も変わらないまま、5年が過ぎていた。

だが先日、ある研修会で声をかけてきた人物の姿に驚いた。以前は86キロだった彼が、60キロに変わっていた。半年間、毎日走り、健康的に痩せたという。その姿を見たとき、自分も「今日から走ろう」と思った。

人は、「何を言われたか」ではなく、「誰が言ったか」で動く。そして、「どのタイミングで出会ったか」も大きい。

静かな学級崩壊とは何か

今回の教務通信では、「静かな学級崩壊」を取り上げた。見た目は整っていても、子どもの目が死んでいる、声が出ていない、関わりがない。これは、秩序の仮面をかぶった深刻な崩壊である。

教師はつい、「子どもに変わってほしい」と思ってしまう。しかし、

「子どもに変化を求める前に、まず教師が自分の見方・関わり・言葉を問い直せ」
「教師の“善意”は、時に支配や抑圧になる」

これは教育実践家・堀裕嗣氏の言葉だ。

子どもを変える?自分を変える?

教師は、「変われ」と言わずとも、目線や声のトーン、指導の仕方などで「こうあるべき」を押し付けてしまっているかもしれない。それに気づけるかどうかが、教育的成熟の入り口である。

静かな学級崩壊とは、教師の無自覚な関係性の停滞でもある。子どもが沈黙しているのは、教師の問いかけが響いていないサインなのかもしれない。

教師として成熟するということ

子どもを変える前に、自分の関わり方を見直す。これは自分を責める行為ではなく、よりよい教室づくりへの第一歩だ。

私自身、5年間「明日から」と言い続けて動けなかった。しかし、変化した誰かの姿が、自分の背中を押してくれた。子どもたちにとっても、教師の変わった姿が、何よりの刺激になることがある。

おわりに──まず動くのは自分

「明日からやろう」ではなく、「今日、踏み出す」。

教師がまず変わることで、教室に風が吹き始める。これは希望ではなく、現実にできることだ。

今、心が動いたなら、それは動き出すタイミング。きっかけは、目の前にある。

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