「あのさー」「そうだよねー」
中学生の頃、部活のコーチにそう言った私に、返ってきたのは思いがけない一言だった。
「私はあなたの友達ではありません。」
正直、戸惑った。
怒らせた?何か失礼だった?
親しみのつもりというより、ただ“会話の流れ”で出た言葉だった。
でも、その一言は、私の中に何かを残した。
言われた直後はモヤモヤした。
でも、少しずつ、考えるようになった。
「そうか、“先生”や“コーチ”は、私を導く立場にいる人なんだ。」
そこから、自然と敬語を使うようになった。
距離ができたとか、話しかけづらくなったとか、そういうことはなかった。
むしろ、やりとりに“芯”が通った気がしたのを覚えている。
そんな自分の経験を、最近ふと思い出した。
息子が、コーチをあだ名で呼んでいるのを聞いたとき。
「あのさぁ、〇〇!」
そんな呼びかけに、私はちょっとざわついた。
コーチや先生は友達じゃない。
どんなに親しみを感じていても、それを“言葉の軽さ”で示すべきではない。
今の時代、先生やコーチとの距離が近いことはいいことだと言われる。
たしかに、心を開きやすい関係は必要だ。
でも、私はあえて言いたい。
距離の近さと、けじめのなさは違う。
言葉には「人との関係性」がにじみ出る。
敬語を使うことで、相手を尊重する気持ちが形になる。
その積み重ねが、大人との関わり方を学ぶ力になる。
親しみがあるからこそ、丁寧に。
信頼しているからこそ、敬意をもって。
息子にも、あの時の私のように、自分で考えて気づいてほしいと思う。
「言葉には、その人を見るまなざしが表れるんだよ。」
そう伝えていける親でありたい。
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