「常識」が崩れるとき、何が起きるのか
――選挙に行かないという“静かな暴力”について
東京新聞に、ノンフィクション作家・保阪正康さん(85)のインタビューが掲載されていた。
タイトルは「常識が不戦の支えに」。
戦争を防ぐ力とは何か。
それは武力ではなく、国際法でもなく、「国民の思考力」だと保阪さんは語っていた。
「多くの人が、戦争は“おかしいこと”だと考え、そう思い続けることが、戦争を止める力になる」。
その言葉がずしりと胸に残った。
選挙のたびに思う。
「どうせ何も変わらない」
「入れたい人がいない」
「忙しいし、面倒くさい」
そんな言葉で、自分の一票を放棄する人のなんと多いことか。
でも僕は思う。
棄権は、一つの民意の表れではない。
何に怒って、何に期待して、どこに賭けるか。
それを、まず自分で決めようとしないことの方が、よほど危ない。
かつて先輩方から聞いた話が頭をよぎる。
あれよあれよという間に、自由が奪われていくという祖父母の時代。
大きな異常は、いつも小さな無関心から始まる。
「入れる政党がない」は、免罪符ではない。
それでも考える。それでも選ぶ。
それが、民主主義の最低ラインだ。
選挙に行こう。
あとから後悔しないために。他人のせいにしないために。
80年前の50年前が訪れないように。
あの日がいつの間にか来ないように。
📖参考:東京新聞7月●日掲載
保阪正康『一国民主義という病が戦争をつくる』(東京新聞出版)
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