教員不足は当然?現場の声から考える「評価」の過酷さと、飛行機に例えた教育の現実

教員のなり手が減るのは「当たり前」かもしれない──。過酷な評価制度、同時多発的な業務、小学校現場の疲弊…現場からの本音を対談形式で語ります。

目次

はじめに:なぜ教員になりたくないのか

「教員になりたい人が減っている」──これ、もはや当たり前だと思っている。
なぜって、大変だから。理不尽だから。
これまでずっと「やりがい」でごまかされてきた現場には、限界が来ている。

評価の過酷さと数字の呪い

一番しんどいのは何か。評価だと思う。
テレビで「学歴社会」を肯定するような番組が流れれば、保護者の目の色が変わる。
「いい成績を取らせてください」「内申を上げてください」
──でも、教員は神じゃない。できないものはできない。

数字で出す以上、評価は高ければ高いほどいいとされる。
でも、その裏にいる“1が並んだ”子どもと保護者の気持ちを、評価する側の大人たちは考えたことがあるだろうか。
「人格の完成を目指す」と言いながら、評価がその方向とどう結びつくのか、きちんと議論されたことがあるだろうか。

同時進行という地獄

教員の仕事の本質は、同時多発的に仕事が降ってくることにある。
ある実践家がこう語っている。

「教員の仕事は同時進行的に、しかも一斉にやってくる。業務を順番にこなすなんてことはできない。トラブルは待ってくれないし、電話は選んで鳴らないし、放課後の予定は次々と崩れていく。」

これ、ほんとうにそう。
だから心がすり減るし、だから“辞めたくなる”。
「効率化すればいい」なんて次元じゃない。

中学校と小学校の違い、そして小学校の限界

中学校と小学校、どちらも大変。
けれど、現代においては小学校の方が圧倒的に大変だと私は思っている。
中学校は部活動が地域移行し、教科担任制もある。
一方、小学校は全教科対応、生活指導、保護者対応、給食、掃除…全部担任ひとり。
もう限界を超えている。

副担任がもたらす希望とは?

せめて、各学年に副担任を1人ずつ置いてほしい。
それだけで学校は変わると思う。
でも現実はどうか。教務主任や教頭が、その役割まで担っている。

教務主任や教頭は、本来、学校の舵を取る“パイロット”のような存在。
それが今、機体操縦の片手間で客室乗務員の仕事をしている。
命に関わる話じゃない? いや、例え話として聞いてほしい。

そんな飛行機、あなたは乗りたいですか?
そんな飛行機に、大切な人を乗せたいですか?
そんな会社に、自分が働きたいと思いますか?

いま、小学校の現場は、まさにそういう状態です。
異常が日常になっている。
でも、社会はそのことをまだ知らない。

おわりに:この現実を知らない社会へ

この文章を読んで、「そんなの教員の甘えだ」と思う人がいたら…どうか一度、小学校の現場に1日でいいから入ってみてほしい。
子どもたちは可愛い。仕事は尊い。でも、現場が壊れている。
教員不足は“なり手がいない”んじゃない。“いたくてもいられない”んだ。

だからどうか、この声が少しでも広がってほしい。
新聞やSNSで取り上げられ、社会が「変えなきゃ」と思ってくれるように。
もう、誰かが倒れてからじゃ遅い。そう、本気で思っている。

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