「困った親はいない」― 困っている親と教師の共育ストーリー

保護者対応に疲れたことはありませんか?怒りや攻撃的な言葉に直面すると、「困った親だ」と思ってしまう。でも、本当に困っているのは親自身かもしれません。今回は、主任の経験談と離島勤務での気づきを通して、「困っている親」との共育について考えます。

1. 困った親と思ってしまう瞬間
若手教師は、怒鳴られたり感情的にぶつけられると、つい「困った親だ」と思う。しかし、その「困った」は教師自身が主語になっていることが多い。
2. 離島勤務での気づき ― 子は「親の宝」ではなく「未来の宝」
離島勤務で、漁師や旅館の家庭の子どもを教えた人は、親の顔がよく見え、自然と「この親の子だから大切にしたい」と思えた経験がある。それは離島以外でも同じで、子どもは親のもとに生まれ、育つが、やがて社会を生きる一人の人間になる。「親の宝」ではなく「未来の宝」。この視点を忘れずに、子どもたちに寄り添っていきたい。
3. 困っている親と捉える想像力
怒鳴ったり攻撃的になったりする親も、背景には悩みや不安が隠れている。想像力を働かせ、「困っている親」と捉えれば、敵対ではなく協働の関係を築ける。
4. 子どもを真ん中にしたパートナーシップ ― 共育
教師と親、どちらも必死で生きている。その弱さを理解し、共に子どもを育てる関係こそ「共育」。困っている親と歩み寄ることで、学級経営や子どもへの関わりも前向きになる。

読者に伝えたいメッセージ
• 保護者を「困った親」と切り捨てず、「困っている親」と捉える視点を持とう
• 想像力を持つことで、対話の扉は開ける
• 親も教師も表面の姿だけで判断せず、共育のパートナーとして子どもを見つめよう

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