駅のホームで終電を待っていた。
その日は、兄弟で末の弟の結婚を祝う食事会の帰りだった。
楽しい余韻を胸に、ぼんやりとホームの時計を見上げていると、背後から少し弾む声が聞こえた。
「先生、久しぶりです! 会えて嬉しいです!」
振り返ると、そこに立っていたのは28歳になった教え子。
中学1・3年のときに担任した少女だった。
大人になった彼女の姿に、最初はすぐに気づけなかった。
だが、少し首をかしげて笑う仕草に、あの頃の面影が一瞬でよみがえった。
「もうそんな年なんだね」と笑うと、
「はい、あのころの先生と同じくらいの年になりました」と、少し照れくさそうに言った。
少し話をしているうちに、私はふとその日の出来事を話した。
「今日はね、末の弟の結婚祝いで、兄弟みんなで集まっていたんだよ」
そう言うと、彼女の目がぱっと輝いた。
「え、あの“四人兄弟”のですか? 全員、“◯”がつく? 」
「わたし、ちゃんと変身しましたよ!」
それは、私が彼女たちのクラスで初めて授業をした日の、自己紹介の話だった。
「へんしん!」で皆の前に出てきて、「先生は四人兄弟で、みんな名前に“◯”がつくんだよ」と笑って話したあの瞬間。
教室の前でまだ緊張していた1年生たちが、ふっと笑顔になったのを今でも覚えている。
たった数分のエピソード。
でも、彼女はその場面を16年経っても鮮やかに覚えていたのだ。
初日の印象は、想像以上に残る
私たち教師にとって、「初日」は慌ただしい。
名前を覚えること、雰囲気をつかむこと、教室の空気を整えること。
つい「この1年をどうつくるか」に意識が向きがちだが、
あの再会を通して気づいた。
初日こそが、子どもたちの心に最も深く刻まれる時間なのだということを。
彼女にとっての「先生」は、授業の上手さやテストの成績よりも、
あの日の教室で見た表情、聞いた言葉、感じた空気だったのかもしれない。
教師にとって何気ない一言が、
子どもにとっては「ずっと覚えている一瞬」になる。
初日に全力を傾ける理由
私はこの仕事を長く続けてきたが、
子どもたちが社会に出ていくたびに、
「あの日の笑顔が今もどこかで生きているのかもしれない」と思う瞬間がある。
そして今回のように、実際に再会して確かめられることは、
教師にとって何よりのご褒美だ。
あの初日、私はただ「自分を知ってもらおう」と思って話した。
けれど、今思えばそれは、
「子どもたちが安心して、自分を出せるようにするための時間」でもあったのだ。
初日の空気は、学級の1年を決める。
それ以上に、もしかしたら、
その子の中で「先生という存在」を決める瞬間なのかもしれない。
15年後に届く「最初の一言」
ホームに電車が入ってくる音がした。
「先生、またどこかで会えるといいですね」
そう言って彼女は笑い、軽く会釈をして改札の方へ歩いていった。
その背中を見送りながら、
心の中でそっとつぶやいた。
——初日に全力を傾ける価値は、間違いなくある。
その日、あの教室でのわずかな時間が、
15年の歳月を超えて届いた。
それは、教師という仕事が持つ「時間を超える力」を、
静かに、確かに感じた瞬間だった。

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